失われつつある東京の坂と路地を訪ね歩く「東京坂路地散人」シリーズ。
「定石通り奥行き二十間、間口七~八間できちんと屋敷割をおこなっている。周囲を高台に囲まれた窪地という一般には不利な立地条件を、逆に外界からわずらわされない閉鎖的で落ち着きにある住宅地に転化した様子がよくわかる。今では、すぐ西側を高速道路が駆け抜け、しかも麻布という土地柄、周囲の町が日々装いを新たにしていくなかで、裏手の(旧我善坊町の)この一画だけは、歴史の襞を折りこんで落ち着いた佇まいを見せている。」(『東京の空間人類学』 陣内秀信 筑摩書房)
もちろん、かつてのように個々の敷地が100~150坪という訳にはいかず、現在では落合坂と直行するように何本かの路地が設けられ、一敷地が4~5件に分割され、そこにはごく普通の、どちらかというとつましい感じの一戸建やアパート、小規模のマンションが建ち並んでおり、雑然とした印象の街というのが正直なところだ。
とはいいながら、足を踏み入れるとほっとするような安堵感と包まれるような安心感を感じるのがここ旧我善坊町だ。それは、敷地が細分化され建物が様変わりしながらも、左右の崖に守られるように存在しているという昔からのこの街特有の構造が自ずと醸し出す独特の空気のようなものだろう。この街に流れるそうした空気や普通の生活が普通に営まれているという様子は、存外、江戸の時とさほど違いがないのかもしれない。
しかしながら、そうした普通の暮らしの気配が漂うつましい雰囲気の住宅地の歴史ももうすぐ消滅するであろう。あちこちに空家や空地が目立ち始め、そこには決まって同じ不動産会社の管理下の物件である旨の看板が掲げられている。再開発である。
華やかな表通りや立派な建物の建つ坂上から忘れられるように存続してきたこの坂下窪地のつましい住宅地にも、高台で猖獗を極める再開発の連鎖が押し寄せてきている。坂上での再開発の次は、坂下もという訳である。その暁にはきっと、偏奇館周辺にみたように、崖が崖でなくなり、坂もかつての坂ではなくなっているはずだ。フラット化。江戸の遺構を残すような地形に連動した都市の様相などはもはや存在価値がないということなのだろう。
周りに空家が増えるなかかろうじて今も以前からの暮らしが継続している路地の奥の古屋。今や人の歩行も少なくなってしまったのだろう、路地は中央まで雑草に侵食され始めている。
外務省飯倉公館の高い崖下の路地のどん詰まりに現れる以前の家屋が解体されて更地になった大地とベニヤで開口が封鎖された空家。人間のいなくなった都市の間隙に生き生きと繁茂する植物たち。
すでに無人となって久しい苔むす廃墟と化している木賃アパート。だれかを待っているかのように独り残されたチェア。決して届くことはない手紙を待ち続けている朽ち果てた郵便受け。
今の旧我善坊町は既に失われてしまっている街なのかもしれない。何故、こうまで旧我善坊町に惹かれうろついているのか?何故、このような街の様子に惹かれてしまうのか?廃墟に惹かれる心性とはどういうものか?
すべてはいつか失われるからこそ、価値があるのではないか。滅びゆく存在であるからこそ、良く在ることができるのではないか。喪失こそが必然であり普遍なのではないか。廃墟こそが創造の目的なのではないか。
失われた街を求めて。
居住者の都合とは無縁の勝手な繰り言、筋違いの妄想とは分かりつつも、答えがないまま、ただただ坂路地を奥へ奥へと闇雲に歩き続ける。その時の横顔は、なにか不安の正体といったようなものを確認しているかのごとき相貌をしていたはずだ。
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