女性ファションにおけるモダンの創始者といわれるシャネル。
『シャネル 人生を語る』 ポール・モラン 山田登世子訳 (中公文庫)はそのガブリエル"ココ"シャネルの唯一の回想録。
「いったいわたしはなぜこの職業に自分をかけたのだろうか。(中略)自分の好きなものをつくるためではなかった。何よりもまず、自分の嫌いなものを流行遅れにするためだった。」といって、ジャージ、ツイード、セットアップスーツ、白黒、短くタイトなスカートなどそれまでの宮廷スタイルにベースを置いた貴族的エレガンスを葬り去るような作品を次々と創り出していったシャネル。
その過激なまでの姿勢のシャネルを作者ポール・モランは「皆殺しの天使」と呼んでいる。
「真の文化は何かをそぎ落としてゆくが、モードにあっても、美しすぎるものから始まってシンプルなものへと到達するのが普通だ。」
「プロのクチュリエは奇抜なモードを考えたりしない。むしろ行き過ぎをどれだけ抑えるかを考えるものだ。わたしは保守的過ぎるぐらいが好き。中くらいなものを良くしてゆくのが大切なのよ。」
「女はありとあとあらゆる色を考えるが、色の不在だけは考えが及ばない。」
シャネルの創造したシンプルという価値観はそれまでのエレガンスという概念を変え、その価値観は今日まで受け継がれている。
ジュエリーに関して「すごく立派な宝石を見ると、皺とか未亡人のしなびた肌とか骨ばった指、死、遺言、公証人、葬儀屋なんかを連想してしまう。」あるいは「見事な石に焦がれたりする必要がどこにあるのだろうか。首のまわりに小切手をつけるのと同じことではないだろうか。」と言い放ってビジゥ・ファンテジーと呼んだ模造真珠などを大胆に使ったイミテーションのジュエリーを発表し、その後のいわゆるコスチューム・ジュエリーという市場が作り出されたことは有名だ。
この回想録で唯一語られないこと。それは6歳で母親をなくしてその後、父親に捨てられて孤児としてオーヴェルニュの修道院で育った少女時代のこと。回想録の中では母が死んで母方の叔母たちのところに預けられて育ったと語られている。
翻訳者の山田登世子は、過剰な装飾、高価な素材、値のはる宝石を否定した「皆殺しの天使」シャネルの独創の秘密は、この隠された修道院での少女時代にあると述べている。
ポール・モランはこう書いている。
「それはまさにマリヴォーが語っていた「農民の晴れ着を着て、ひらぺったい靴をはいた」娘たちの進軍だ。娘たちは「危機に瀕した都会」を相手に勝ち誇り、激しい復讐欲に燃えて革命に火をつける。あのジャンヌ・ダルクもまた羊飼いの復讐だった。」
シャネル自身もはっきりと次のように語っている。
「間接的にではあれ、華美なパリジェンヌに素朴な美をおしつけたのはオーヴェルニュの叔母たちなのだ。あれから歳月がたち、今になってようやくわかる。厳粛な地味な色がすきなのも、自然界にある色を大事にしたがるのも、アルパカ製に夏服や羊毛(チェヴィオット)に冬服が修道服みたいな裁断になっているのも、みなモン=ドールからきているのだということが。パリのおしゃれな女を夢中にさせた禁欲的なファッションはみなそこから来ているのだ。私が帽子をきっちりかぶるのも、オーヴェルニュの風が帽子をふきとばしそうだったからよ。つまりわたしはパリを征服したクエーカー教徒だったのだ。」
ちなみに、「モン=ドール」とは、オーヴェルニュ地方の山 Mont Dole のこと。、オーヴェルニュ地方はフランスの中西部あたりに位置する山がちな地域。貧しいが故に出稼ぎが盛んでパリのカフェも働き者のオーヴェルニュ人が始めたとか。ミネラルウォーターのヴォルヴィックはこの地域で採取されており、ソムリエナイフなどの刃物で有名なライヨールもここオーヴェルニュ産。ミシュランの本拠地もオーヴェルニュの中心都市クレモン=フェランにある。
ところで、こうしたシャネルの態度は、ニーチェ的な意味でのルサンチマンそのものではないのか。
ルサンチマンとは、いわゆる、ねたみ、ひがみ、やきもちなどの怨恨のことだが、ニーチェは、価値の転倒を引き起こすにまでに至ったレヴェルの怨恨を指してルサンチマンと呼んだ。
「道徳における奴隷一揆は、ルサンチマンそのものが創造的となり、価値を生みだすようになったときにはじめて起こる。」(『道徳の系譜』)
ニーチェの言う「道徳上の奴隷一揆」とは、キリスト教的価値観が席捲した世界のことだ。人間の原罪を一身に背負って磔刑にかけられたイエス・キリストというストーリーを作り上げ、神を信じることのみが唯一その原罪から魂を救う道だとして、それまでのギリシャ的な価値、あるいは世俗的な価値などを否定し、価値の転倒が成し遂げられた世界。神とはこうした僧侶的価値観をもっともらしく流布させるために生み出されたものであり、こうした価値の転倒が成し遂げられた上に成り立っているのが今日の世界であるとニーチェは喝破した。
シャネルのルサンチマンは、オーヴェルニュの修道院の質素な美意識により、それまでのパリにおける貴族的な美意識を転倒させ、今日につながる新しいエレガンスを生み出した。ニーチェ的な言い方をすればさしずめ「エレガンス上の奴隷一揆」と呼ぶべき復讐劇だったという訳だ。
今日のエレガンスに欠かせないシンプルな美という概念は、孤児としてオーヴェルニュの修道院の育ったガブリエル"ココ"シャネルという人物のルサンチマンの産物であったということは、ファッションというきらびやかなイメージを纏った世界の中で忘れがたい印象を残してくれる挿話である。
そういえば、メンズファンション界にシンプルという価値観をもたらした人物も、貴族よりもはるかに平民に近い"ボー"ブランメルことジョージ・ブライアン・ブランメルではなかったか。
ファッショにおけるモダン革命は奇しくも、修道院に育った孤児と平民の息子という当時の中心からは程遠い周縁にあった2人によってもたらされたことを忘れてはならない。
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