失われつつある東京の坂と路地を訪ね歩く「東京坂路地散人」シリーズ。
一軒目は、前に偶然見かけて以来気になっていた「はりや」に満を持しての来店。
簡素な縄のれんと上に掲げられた控えめな看板で辛うじてここがお店であることがわかるストイックな外観。
「はりや」の開店は昭和6年(1931年)とのこと、すでに今年で80年だ。当時このあたりの住所は南葛飾群隅田町であり、鐘ヶ淵通りもできていなかったはずである。
東京空襲により現墨田区の大半は灰燼に帰したが、堀切~鐘ヶ淵~八広にかけての鐘ヶ淵通りと荒川に挟まれたエリアは奇跡的に戦災を受けていない。建物の大半は戦後のものだろうが、今でもこのエリアには狭い路地や戦前からの区画割りなどが残っている。
「はりや」のあるあたりは戦災を受けたようだ。今の建物事体は戦後のものだろう。それでも築数十年は経っているその佇まいは自然と目を惹くものを宿している。
永井荷風が旧玉の井を「発見」するのが昭和7年(1932年)の1月22日。『断腸亭日乗』の同日にこう書かれている。「四木橋の影近く見ゆるあたりより堤を下れば寺嶋町の陋巷なり」
荷風は昭和11年(1936年)4月あたりより再び玉の井を訪れるようになり、そこでの見聞に着想を得た小説を同年10月25日に脱稿する。荷風58歳の傑作『濹東綺譚』だ。
ということはここ「はりや」は荷風がこのすぐ近くの荒川堤やいろは通りをうろついていた時分にすでにあったわけだ。思わぬ発見(?)をしたような気がしてなんだかうれしくなる。
使い込まれた木のカウンター、古びた木製の壁、コンクリの床、清潔だが片付けすぎない店内、日本語の「酒場」という文字が喚起するすべてのイメージを形にしたような雰囲気だ。
しめ鯖、小エビフライ、うなぎ肝焼、赤貝ひも。
いずれも驚愕を覚える水準のクォリティと値段だ。厨房を取り仕切るのはおかあさん。
酎ハイは270円也!
壁には大山名人の色紙などあり。ホールを担当する温和さのなかにどことなく鋭いものを宿したような雰囲気の長身白髪のおとうさんは案の定将棋4段の腕前とか。
これはマッチ入れ。何十年に渡って使い込まれて全体が黒光りして端部が丸みを帯びたこの手作りの木製マッチ入れは、まるで生き物のような生命感を湛えている。
点いているテレビを見るともなく、相方とたいして話すでもなく、時々入れ替わるお客さんの様子を見るでもなく、そんな風にして「はりや」の至福の時は過ぎてゆくわけです。
2件目は鐘ヶ淵駅前から延びる路地にひっそりと佇む、赤提灯とくたびれた暖簾と剥げかかった油紙を張った木枠ガラス戸のファサード(!)に思わず惹かれて入った大衆酒場「栄や」。
切り盛りするのは御年75歳とは思えないおかあさん。なにしろ声が若い、いや、もちろん声だけではないですヨ、若いのは。
モツ焼はヴォリューム満点。お薦めでいただいたシロのタレがなかなかでした。
正直、入る時は結構勇気を要する外観ですし、案の定、店内はすべてなじみのお客さんばっかりというお店ですが、そこは皆さん、他所者もつかず離れずしながら受け入れてくれるという一枚上手の温かさが感じられ、居心地は思いのほか良かったです。
「また来ます」といって出ようとしたら、すかさず入り口そばで飲んでいたおじさんが、さっとガラス戸を開けてくれたりする気配りに恐縮至極で感激したりするのでした。
3件目は鐘ヶ淵駅前の「福松」。
看板のモツ焼きは丁寧な仕事がなされた逸品です。
名物らしき牛ハラミを頼もうとしたら残念ながら品切れ。「うちのハラミは絶品、もっと早く来なきゃダメよ」と愉快なおとうさんのアドヴァイス。
ここでもお隣さんが注文した串焼きがあまりにも旨そうだったので「それ何ですか?」と聞いたら「まあ、食ってみて」、「いやいや、今日はもう沢山頼みましたから」、「そういわずに、他生の縁ということもあるし」、「いやーほんとに、今日は・・・」というような嬉しい袖の触れ合いなどもあり、ますます墨東酒場のファンになっていくわけです。
さて、次の展開はどうしようか?と思案しながらの千鳥足は自然と鐘ヶ淵通りを南に向かっている。
雨に濡れた路面を染める信号と電飾看板とヘッドライトの光の束の中の歩く男一人。フィルムノワールか日活アクションかはたまた香港ノワールの世界か?
このあたりで餃子にビールなんかもいいネということで、いろは通りとぶつかる角の「来集軒」を覗くがすでの看板とのことで、泣く泣く諦めて、それじゃあ本日は初志にしたがって酒場のはしごに徹しよう!ということになり、水戸街道との交差点に構えたる「丸好酒場」へと向かう。
アルミの引き戸を開けると、トラックなどの往来が頻繁な産業道路的雰囲気の外界からはうかがいしれない人間と食い物と酒との歓喜に満ち溢れた空間が広がっている。
ここは食事もできる豊富な品ぞろえ。なんといっても充実なのは肉系メニュー。
さっそく酎ハイと定番の煮込みとハツ焼を注文。
その場で塊肉から分厚く切り出して、網で焼いたハツ焼のこのヴォリューム!正直な肉の味が堪能できます。とはいえさすが4軒目、今度はもっとお腹に余裕がある時にきて、レバやらタンやらもたらふく食べたいものだ思った次第です。
そして最後は、お気に入りの「三河屋」 Revisit。
まさに「酒場」としかいいようがないこの普通さ、真っ当さがたまりません。マーケティングやチェーンオペレーションやビジネスモデルとやらが席捲し、思惑と演出と意匠が氾濫するこの世の中にあって、こうした普通で真っ当な酒場をして希少な資産と呼ばずしてなんと呼ぶのでしょうか。
焼そばを肴にやや緑がかった絶品の酎ハイで乾杯。なんと一杯250円也!
使い込まれて光沢と丸みを帯びた木のカウンターの感触が心地良い。
夜も深まった店内には呑み助男の2人づれが2組のみ。先客の2人はなにやら建築施工現場におけるとある部位の納まりに関して議論が白熱している様子。メモやペンを取り出して、その検討・評価・調整は徐々に熱を帯びてきたようです。いいもんですネー、休日前夜だというのに女ッ気なしで真剣に仕事の議論を戦わせるおっさん2人。そこには会社の悪口も上司への悪態も仕事への愚痴も皆無です。あるのは、いかに合理的で美しい納まりを実現するかという実質のみ。まんざら知らぬ世界でもないのでお2人の白熱する議論の断片を思わず聞くともなしに聞いておりましたが、正直ちょっと羨ましくなってしまいました。
そう、まだ諦めてはいけないのかもしれない、酔った頭にはそんな思いもよぎりながら墨東路地裏に夜はさらに更けてゆくのでありました。
墨東の駅に降り立ち、暮れなずむ街を前にして酒場はしごに思案するひと時。それは世界を目の前にしたような高揚感。
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