『オババコアック』はスペイン北部バスク地方出身の作家ベルナルド・アチャーガがバスク語で書いた小説だ。
そもそもは、バスク文化の一端に触れようとして手に取ってみたのだが、これが予想していた以上に面白かった。
「少年時代」と題された中の「エステバン・ウェルフェル」という作品は、父と自分の二代に渡って集められた革表紙の1万冊の本に囲まれた書斎で主人公のエステバン・ウェルフェルが12冊目のノートに、少年時代に起こったある出来事の顛末を記録する行為を描いた作品である。
この作品では、エステバンの言葉や思考や行動が様々な形式で表現される。3人称の「彼」として描写されるエステバン。間接話法として引用されるエステバンの言葉、自由間接話法的に挿入されるエステバンの思考や独白、エステバンが書く記録のなかの「私」として登場するエステバン。
こうした、「私」について書く「私」とその「私」について書く「私」を様々な形式で書く作者という構図や1万冊の本、書斎、12冊目のノートなどの道具立てから浮かび上がってくるのは、「書く」という行為とエクリチュール(書かれたもの)への強い意識性だ。
「書く」ことへの意識性は、この内省的な物語に豊かな陰影と奥行を与えている。
書くことをめぐる張り詰めた描写の合間に、書斎の覗き窓から見える雨の降る広場とその池に集まってくる白鳥の様子などがインサートされる。内省から外界へ、この視線の転移が、「書く」という行為を客観的に浮かび上がらせる。何故書くのか?書くことの意味は?何故この書き方なのか?書くことを自問しながら時おりペンを置き、本棚の間の覗き窓から外を窺う気難しそうなエステバンの姿が浮かんできそうだ。
エステバンが書く記録の最後において少年時代の出来事の謎を解明するのも父が残した手紙という書かかれたるもの。あくまで「書く」ということへのこだわり。
ベルナルド・アチャーガの、こうした「書く」ということへの強い関心の背景には、バスクとバスク語という存在があるのだろう。
バスク地方は、スペイン北部とフランスにまたがるエリア。バスク人は、インド・ヨーロッパ語族がヨーロッパに侵入する以前の石器時代から定住しているヨーロッパで最も古いといわれている人種。現在はスペインとフランスに分断されているものの、かつては歴史的・文化的に一体のエリアだった。
近年、特にフランス側ではバスク色は薄れつつあるようだが、スペイン側はバスク自治州を名乗る3県が一定の自治権を持ち、バスク語教育も義務化されているなど、バスク人としてのアイデンティティへのこだわりは依然根強い。フランコ時代のバスク語の禁止、バスク文化の弾圧への抵抗に端を発する急進派のETA(バスク祖国と自由)によるテロなどもまだ記憶に新しい。
そのバスク語だが、表記も構造も発音も周辺のヨーロッパの言語は全く異なる言葉で、「言語的孤島」といわれ、その出自はバスク人同様、現在も不明である。現在、バスク語を話す人口はせいぜい50万人程度といわれている。
著者のベルナルド・アチャーガも、バスク語で書かれた文学を読み始めたら3年ですべて読み終わったと、半ば冗談だろうが、述べている。バスク語はもともとは口承言語であり、文字としての歴史や文学的伝統は乏しい。
そうした孤立的状況にある言語、マイナーな言語、文学的伝統のない言語で小説を書くということが、ベルナルド・アチャーガをして「書く」という行為を意識的なものとさせているはずだ。
「最後の言葉を探して」と題された本書で最も長いパートは、文字通り「言葉」をめぐって展開される短編のアンソロジーだ。
この作品は、少年の頃の同級生が異常をきたしたのは、仲間のいたずらが原因で耳からトカゲが入り、脳を食べられたからではないか(!)という疑惑を解明する奇怪な物語を基調にしながら、ストーリーとは無関係な複数の人物が登場し、それぞれが創作した物語を語って聞かせるという、『千夜一夜物語』的というか『ドン・キホーテ』的というか、そういう構成の作品であり、ここでもやはり書くこと(創作)が最大のテーマになっている。
「最後の言葉を探して」では、物語の創作をめぐる登場人物の議論を通じて、数多くの文学作品からの引用(偽の引用や創作も含めて)やバスク語や剽窃や間テキスト性の問題などが取り上げられる。
アチャーガは、間テクスト性に対して積極的に価値を見出しているようだ。その背景には文学的伝統のないバスク語での書くという行為を、世界文学の伝統と広がりへと接続しながら、確立してゆく必要性を感じているからであろう。その意味でこの作品は「書く」ことを書くメタ小説でもあるのだ。
主人公がトカゲに関する謎解きに取り込まれるようにしてストーリーは不思議なエンディングを迎える。作品全体としてはやや冗長で散漫な印象は否めないものの、こうした展開はボルヘスを思わせるものがある。
そういえばボルヘスは、『伝奇集』に収められた「『ドンキホーテ』の著者、ピエール・メナール」において、20世紀のピエール・メナールという作家が『ドン・キホーテ』と一字一句全く同じ小説を書く(写すのではなく)という、まさに間テキスト性や剽窃の極限ともいえるようなテーマを書いている。
本書に登場する人物の多くは、深い孤独を抱える異邦人や共同体のマージナルな部分に生きる人々など、伝統的なバスクの社会を象徴したような人物とともに、オババからアメリカ大陸に渡った移民の息子でアマゾンでの冒険譚を語り、今はダブリンに住む人物なども登場する。「最後の言葉を探して」のなかで登場人物が語る創作の多くも、中東や中南米や中世ヨーロッパなど、外の世界を舞台にしたものが多い。
孤立するマイナーなバスク語で語られる物語は、辺境的であるとともに世界的でもあるというところが面白い。
バスクはある意味、伝統的で孤立的である一方で、日本にやってきたイエズス会のフランシスコ・ザビエル、世界一周を成功させたエルカノ(ポルトガル人マゼランの船に同船し、途中で死亡したマゼランに代わって帰航に成功した)など、大航海時代に果敢に海外へ乗り出していった人物を輩出した社会でもある。その後も海外移民が産業だったといわれるように、外へと向かう心性と力はバスクのもうひとつの特色でもある。
バスクには「真のバスク人とは、家の原点を示すバスクの苗字を持ち、バスク語を話し、アメリカに親戚がいること」という格言があるという。(『バスクとバスク人』 渡辺哲郎 平凡社新書)
孤高でありながら世界的、ベルナルド・アチャーガの書く物語にも、このバスクの持つ不思議な魅力が色濃く漂っている。
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