第6章はティファナの空港でテリー・レノックスを見送った帰り道のマーロウの独り言で始まる。そのドライブはone of the dullest drives in the state と形容される。
No border town is anything but a border town, just as no waterfront is anything but a waterfront.
「国境の町は国境の町以外ではありえない。港町が港町以外にではありえないように」といつものチャンドラー節のあと、港町サンディエゴのすばらしさに言及され、続いてBut Marlowe has to get home and count the spoonsという表現が出てくる。
このcount the spoonsとはto make sure that the guests have stolen nothing という意味なのだそうだが、実際はどういうことなのだろう。
まさか、家に帰ってテリーが家からなにか盗んでないかチェックする、ということは考えられない。何しろ、テリーは純金の金具のついたピッグ・スキンのトランクをマーロウの家に預けっぱなしにしていたり、ジョウエット・ジュピターのキーをマーロウに託したり、なにより金に困った時も人に無心したりするよりも路上で倒れかけることを選ぶ人物なのだから。
そこに込められているのは、直前に描かれる美しい港町サンディエゴの世界と対比的に、現実の世界 ― それはマーロウにとっては人を疑うことが商売の探偵家業を意味している ― に戻らなくてはならない自分をややシニカルにかつコミカルに戯画しているというニュアンスではないだろうか。
村上訳ではストレートに「スプーンの数を勘定しなくてはならない」となっている。清水訳では省略されている。
家に帰ると殺人課のグリーン部長刑事とデイトン刑事の2人がマーロウを待っている。
2人に会ったマーロウはこう言う。
You don't shake hands with big city cops. That close is too close.
That close is too closeは、thatで前の文を受けて「大都会の警官と握手するような関係になることは親しくなりすぎである」という意味だが、英語ならではの短く畳み掛けるようなという表現がなんともクールな雰囲気を醸し出している。
では何故親しくなりすぎなのか?村上訳では「握手するほど親しくなることはない」と訳されており、握手しないのは大都会ならではのドライな関係が背景になっているという解釈がなされているようだ。一方、清水訳では「握手するほど近づきになることは危険なのだ」とtoo closeにはちゃんとした目的があり、それを補足する訳になっている。さてあなたならどちらの解釈がぴったりくるだろうか?
テリー・レノックスを知っているだろう、というグリーン部長刑事の質問に答えて。
"We have a drink together once in a while. He lives in Encino, married money. I've never been where he lives."
marryには「結婚して~を手に入れる」という意味があるのをはじめて知った。marry moneyは「金持ちと結婚している」ということになる。
警察はテリーの家のメモにマーロウの電話番号が記されていたのを証拠にテリーとの関係を問いただす。のらりくらりとした発言で誤魔化そうとするマーロウ。グリーン部長刑事が一喝する。
"Aw shut up," Green said impatiently. "You're crawfishing.
crawfishはザリガニのこと。ザエリガニが後ずさりする姿から連想したのか「しり込みする」、「状況から逃げる」という意味だそうだ。村上訳では「あんたは話をはぐらかそうとしている」となっている。
マーロウは若くて背が高くてハンサムで偉そうにしているデイトン刑事が気に入らない。第一印象で既にa goon with an education 「学のあるチンピラ」と言っている。実際、デイトンは司法試験に受かっているインテリ刑事なのだ。
デイトンのことはこうも形容している。
Maybe I was tired and irritable. Maybe I felt a little guilty. I could learn to hate this guy without even knowing him. I could just look at him across the width of a cafeteria and want to kick his teeth in.
「顔見知りでなくても嫌いになるほどのやつであり、カフェテリアの向こう側で見かけてもわざわざ行ってぶん殴ってやるたくなるようなタイプ」とはすごい嫌いようだ。
たたき上げらしいグリーンも実はデイトンを快く思っていないというところが面白い。マーロウへの質問をさえぎってデイトンが口を挟むと、グリーンはこう言い放つ。leave~aloneは、~が邪魔をしいなようにしておく、という意味、smokerは演奏会のこと。
"You make the notes," Green said, "and leave your brains alone. If you're real good we'll let you sing 'Mother Machree' at the police smoker."
罵られた上司に反論する際もインテリのデイトンはそれらしい言い回しを使う。
"The hell with you, Sarge, if I may say so with proper respect for your rank."
if I may say soもwith respect も控えめに反論する際の言い回し。前者は「そういっては何ですが」、後者は「お言葉ですが」、「言わせていただければ」という感じのニュアンスか。こうした言い回しをするデイトンのいかにも慇懃無礼な性格が巧みに描かれている。
デイトンはマーロウの挑発に乗ってマーロウを殴る。何故、テリーを捕まえようとするのか?離れでシルヴィアと一緒にいた男はどうなった?とあくまで抵抗するマーロウ。亭主をしょっぴけば事情は分かるんだ、というグリーンに対するマーロウはこう言う。
"Fine. If it's not too much trouble when you already have a patsy."
このwhenの用法が分からない。patsyとはカモ、身代わりという意味だ。あれこれ考えてようやくたどり着いたのが、非制限用法の場合のwhenの前のカンマが抜けているのではないか、という推測。文意としては「もしさほど面倒でなければ、その時には身代わりになりそうなやつを早々としょっぴく」という感じだろう。村上訳も「ひっぱりやすい相手からひっぱっていくわけか」と同じニュアンスで解釈している。清水訳は「そっちからの方が早いだろう」と同じ趣旨ながらやや漠然として分かりにくい。
「しゃべらないなら署まで来てもらおう」とグリーン。「重要証人としてか?」と問うマーロウ。material には「重要な」という意味がある。
"You don't talk, we take you in, Marlowe."
"As a material witness?"
"As a material my foot. As a suspect. Suspicion of accessory after the fact of murder. Helping a suspect escape.
my footは前文の言葉を繰り返しながら「~なんてとんでもない」という意味になるのだそうだ。「重要証人?冗談じゃない。容疑者としてだ。殺人の事後従犯ならびに容疑者の逃亡幇助の容疑だ」
殺人の事後従犯の容疑をかけられながらも、テリーは自分の友人であり、情を感じており、君ら警察の質問には答える義務はない、とたんかを切るマーロウ。come throughは要求に応えるの意、inquestとは公開で行われる死因審問のこと、sitting duckは簡単に狙われる標的、いいカモという意味。
"Terry Lennox was my friend. I've got a reasonable amount of sentiment invested in him. Enough not to spoil it just because a cop says come through,(中略)but that's the kind of guy he is – a little weak and very gentle. The rest of it means nothing except that if he knew she was dead he knew he was a sitting duck for you. At the inquest if they have one and if they call me, I'll have to answer questions. I don't have to answer yours."
The rest of it 以下がなかなか手ごわい。主語のrest of it のニュアンスが良くわからない。itはthe kind of guyを指しており、rest of itは直訳するとテリー・レノックスの「ちょっと気が弱くてとても穏やかな性格」以外で彼が持っている性格というような意味になるのだろうが、一体どういうことだろう?
清水訳にヒントがあった。清水訳ではgentleを「事を荒だてるのがきらいなんだ」と訳している。a little weak and very gentleという表現でマーロウが言いたいのは、基本的にテリーは警察沙汰になるような面倒なこと(それはもちろん妻を殺害するようなのことを指している)を起こすような性格の人間ではないということなのだ。そしてrest of it が意味しているのは、そういうweak and gentleな性格の人間でも、この状況ではきっと自分が犯人に仕立て上げられるだろうというぐらいは理解できるノーマルな判断力は持ちあわせている、ということ含意している言い回しなのではないかと思われる。
「彼はちょっと気が弱くてとても穏やかな性格の人間だ。そんな彼でさえ、彼女が殺されたとなると、すぐさま自分が犯人に仕立て上げられるだろうことぐらいは理解している」という感じだろう。
警察への質問に答えることを拒否しながらも、立場は違えど「君はまともな人間だ」とグリーンを理解するマーロウ。それに引き換えデイトンは「警察バッジをひけらかす権力コンプレックス野郎」と徹底して嫌っている。
"I can see you're a nice guy, Green. Just as I can see your partner is just another goddam badge flasher with a power complex. If you want to get me in a real jam, let him hit me again. I'll break his goddam pencil for him."
「やつにもう一度僕を殴らせればいいい。やつのペンシルを叩き折ってやる」というところに警察権力を振りかざす者へのマーロウの侮蔑と悔しさが滲み出ている。
マーロウは手錠をかけられ連行される。
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