もはや旧聞に属するがキング・クリムゾン日本公演 2015を観た。
(source:https://www.facebook.com/kingcrimsonofficial/timeline)
すっかり出遅れてしまい、当初日程のチケットが軒並みソールド・アウトのなか、あわててチケットを取って観たのが12/17(木)のオーチャード・ホールでの追加公演だ。
来日は12年ぶりだという。もっともアルバムを夢中で聞いていたのが70年代前半の中学生のころだから、キング・クリムゾンを集中して聞くという行為は実に40年ぶりになるわけだが。
当夜のセットリストは下記(setlist.fmより)。
1.Radical Action (To Unseat the Hold of Monkey Mind) I *
2.Meltdown *
3.Radical Action (To Unseat the Hold of Monkey Mind) II *
4.Level Five
5.Peace - An End
6.Epitaph
7.Red
8.Pictures of a City
9.Hell Hounds of Krim
10.The ConstruKction of Light
11.VROOOM
12.A Scarcity of Miracles
13.Banshee Legs Bell Hassle
14.Easy Money
15.Sailor's Tale
16.Starless
Encore:
17.Devil Dogs of Tessellation Row
18.The Court of the Crimson King
19.21st Century Schizoid Man
*は今回、来日してから作られたといわれる新曲
A ELEMENTS OF KING CRIMSONと銘打ったツアーらしく、各時代の代表的な楽曲を網羅したキング・クリムゾンというバンドのこれまでの歩みと歴史を思い起こさせるセットリストになっている。
公演日によって、メジャーな楽曲では”The Court of the Crimson King”と”Lark’s Tonges in Aspic”などの出し入れがあるようで、当夜は後者が入ってなかった。
まず特筆すべきは、1960年代、70年代の初期キング・クリムゾンのクラシックとでもいうべき楽曲の数々がセットリストに網羅され、それらが、当時とほぼ同じアレンジで、2015年の日本で、本物のキング・クリムゾンの生演奏で聞ける、という贅沢さだ。
アレンジは限りなくオリジナルに近い。以前のライブでの演奏のように意図的なシンコペートやいたずらな間や無用なオカズなどもなく、ドラムの一打すらもオリジナルに忠実に再現されていた。
リード楽器担当のメル・コリンズ(彼が加わるのも1974年の『レッド』 Red以来なので約40年ぶりだ)がメンバーに加わって、初期クリムゾンのナンバーが過不足なく再現可能となったことも大きい。
また、ヴォーカルのジャッコ・ジャクジグの伸びのある高音は初期のグレッグ・レイクによるヴォーカルを彷彿とさせ、そうしたことも、楽曲の初期のイメージが再現されている要因だ。
トニー・レヴィンは来日直前のインタヴューで「選んだオールド・ナンバーは、楽曲に忠実になることが同時に革新的でもあるという、優れた楽曲ならではの特徴を備えていた」と述べている。(カナダMontreal Gazette誌による2015年11月のインタヴューより)
2015年のこのバンドの最大の個性は、フロントラインに並んだトリプル・ドラム。かつて『太陽と戦慄』 Lark’s Tonges in Aspic(1973)でビル・ブラフォードとジェイミー・ミューアの実質ダブル・ドラムでやっていたり、『スラック』 Thrak(1995)では今回も参加しているパット・マステッロも加わったダブルバンドでやっていたので複数ドラムというパターンは、これまでもあったわけだが、トリプル・ドラムは今回のツアーからだ。
初期作品からドラムがメロディー構成の重要な要素になっており、複数ドラムを追求していくのはクリムゾンらしいひとつのあり方といえるだろう。
前掲のMontreal Gazette誌のギャヴィン・ハリソンへのインタヴューによると、オーケストラのチューバが常時演奏しているわけではないように、3つのドラムも楽曲にあわせて、それぞれの個性やドラムセットに応じて効果的に演奏する方法を採っている、とのことで、実際、中央に位置したビル・リーフリンは初期の楽曲ではシンセサイザーでメロトロンのラインを弾いていた。
トリプル・ドラムは好アイディアだが、まだまだ発展段階という感じなので、今後はポリリズミックなドラミングなどを組み入れた楽曲や、ジャズのインプロヴィゼーションにおけるようなスポンテニアスな演奏など、さらなる進化を期待したい。
それと注目したいのが”Peace - An End”という『ポセイドンのめざめ』 In The Wake of Poseidon(1970)に収録されている弾き語りによる割と地味なナンバーがすべての公演日で演奏されていたこと。setlist.fmによるとこの”Peace - An End”のコンサート初演は2015年11月27日のカナダのヴァンクーバー公演とのことで、明らかに2015年のキング・クリムゾン、というか、ロバート・フリップの現下の情勢へのメッセージが込められているのだろう。
歌詞はこんな内容である。分かりやすい英語で平和のイメージが静かに歌われる。作詞は初期のクリムゾンのワード、歌詞、照明を担当したピート・シンフィールド。
Peace is a word
Of the sea and the wind
Peace is a bird who sings
As you smile
Peace is the love
Of a foe(★1) as a friend
Peace is the love you bring
To a child
Searching for me
You look everywhere
Except beside you
Searching for you
You look everywhere
But not inside you
Peace is a stream
From the heart of a man
Peace is a man, whose breadth
Is the dawn
Peace is a dawn
On a day without end
Peace is the end, like death
Of the war
当日はよく聞き取れなかったが、ほとんどの公演で最初の箇所が日本語で歌われていたようだ。
こんな感じ(12月13日の大阪公演より)。
12月17日のセットリストでは、このアカペラから始まる”Peace - An End”に導かれるかたちで”Epitaph”が演奏され、明と暗、祈りと悪夢などの雰囲気の対比が効果を上げて大いに盛り上がった。
”Epitaph”(エピタフ)はデビュー作『クリムゾン・キングの宮殿』 In The Court of the Crimson King (1969)に収められた名曲だ。
コーラスの部分のConfusion will be my epitaphというロック史に残る名フレーズを含め、パセティックな人類の未来像が歌われている。東西冷戦と核戦争、そうした時代の人類の運命を暗喩している歌詞だともいわれている。
Confusion(混乱、錯乱)とは自分たちが作ったもの(核兵器や核抑止力理論)で結果的に自分たちが絶滅してしまう究極の可笑しさ、不気味さを言い表したものだろう。
東西冷戦は終結し、世界全面核戦争の可能性は遠のいた。”Epitaph”リリースから46年後の2015年にこの曲を聞くとまた別の感慨が呼び起こされる。
固定化する経済格差、深刻化する貧困、増え続ける難民、蔓延する過激思想とテロリズムの恐怖、分断化される世界。この解決策が容易に見出せない深刻な状況を前に、果たしてわれわれは今までなにをやってきたのだろうか、と思わざるを得ない。
冷戦時代にも増してわれわれは大きな勘違いをしてきたのではないのだろうか?世界はいつの間にか誰一人として幸せにならないように動いているのではないか?世界は失敗しているのではないか?
Confusion will be my epitaphとは、今のわれわれに投げかけられている言葉であり、このままでは、われわれの墓碑銘はまさにコンフュージョンと記されてしまうのではないか。
そう思い至るとき、この曲の恐ろしいほどの先見性に改めて驚愕させられる。
”Epitaph”の歌詞はこんな内容。作詞はピート・シンフィールド。
The wall on which the prophets wrote
Is cracking at the seams
Upon the instruments of death
The sunlight brightly gleams
When every man is torn apart
With nightmares and with dreams,
Will no one lay the laurel wreath(★2)
When silence drowns the screams
Confusion will be my epitaph
As I crawl a cracked and broken path
If we make it we can all sit back and laugh,
But I fear tomorrow I'll be crying,
Yes I fear tomorrow I'll be crying
Yes I fear tomorrow I'll be crying
Between the iron gates of fate, (★3)
The seeds of time were sown,
And watered by the deeds of those
Who know and who are known;
Knowledge is a deadly friend
When no one sets the rules
The fate of all mankind I see
Is in the hands of fools
数々のクリムゾン・クラシックの楽曲を並べた今回の日本公演は一見、懐メロ風に聞こえるが、少なくともわたしにとっては、2015年に聞くキング・クリムゾンは、周りも自分も、のほほんとした雰囲気に包まれていた40年前よりも、はるかにアクチュアルな戦慄を呼び起こす出来事であった。
Yes I fear tomorrow I'll be crying
わたしは明日の自分が大声で泣いているではないかと恐れているのだ。
(★1)foeは敵の意。
(★2)the laurel wreathは月桂樹のリース。ローマ時代に戦いの勝利者に与えられた。
(★3)第2ヴァースだけやや意味がとりにくいので参考までに私訳を。
運命の鉄のゲートの間に
時の種が撒かれ、
知っていると称する人々と名が知られた人々の行為
によって水やりが行われてきた。
しかし知識というものは規範を定める者がいなければ
死を招く友に堕すのだ。
わたしには人類の運命は
愚か者の手中にあるとしか思えない。
Who know and who are knownとは政治家、科学者、学者、高級官僚などの意だろう。
Knowledgeとは、科学技術に象徴される近代知を指していると思われる。
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