モダンデザインを一言でいうとシンプルなデザインということになるだろう。
広辞苑には「シンプル」とは「単純なさま」とある。シンプルとは、色・かたち・素材が簡素で抑制されているさまである。
シンプルはモダニズムの専売特許ではない。また、建築やプロダクトのデザインに限られるというわけではない。シンプルという価値観はどこから来たのか。シンプルの具体的な現れ方とは。シリーズ《シンプルの系譜》では、さまざまな切り口でシンプルの様相を探ってみる。
ガブリエル ”ココ” シャネルは、20世紀初頭、女性ファッションにいわゆる「シャネル革命」といわれる変革をもたらした。
(*Coco Chanel at age 23 ,source :http://pictify.saatchigallery.com/201979/coco-chanel-at-age-23)
男性ファンションがフランス革命(1789年)を境に、ブリーチズ(半ズボン)+ストッキングのスタイルからトラウザーズ(長ズボン)へと移行したのを期にモダナイズされていくのとは対照的に、女性ファッションは第一次大戦(1914年)の時期まで、基本的にはフランス革命以前からの宮廷スタイルをベースにした世界にあった。
コルセットで締め付けたS字型のシルエット、巨大に広がった引きずるような長い裾、フリル、ギャザー、レース、フリンジ、襞飾りなど雑多な装飾とディテール、シルクや毛皮などの富を象徴する高価な素材、パステルカラーの氾濫、巨大なパイにような飾られた帽子など、シャネルはこうした100年前から変らない宮廷スタイルをベースにした貴族的エレガンスを葬り去るような作品を次々と創り出していった。
(*復元された「プティット・ローブ・ノワール」、カール・ラガーフェルド撮影 ,source : ジャスティン・ピカディ 『ココ・シャネル 伝説の奇跡』(栗原百代、高橋美江訳、マーブル・ブックス、2012年初版))
シャネルの傑作のひとつ「プティット・ローブ・ノワール」(Little Black Suits 小さい黒い服)と呼ばれた超シンプルな黒のドレス。タイトなシルエット、短いスカート、極限まで抑制されたデザインのこのドレスを1926年10月1日のアメリカ版『ヴォーグ』は、「シャネルのフォード」と呼んで絶賛した。「フォード」とは車のフォードのことであり、簡素で魅力的でかつ量産可能な、その革命性を上手く言い当てている。
下着の素材だったジャージーを使った身体に沿ったドレープのドレス、パンタロンやスーツなどメンズライクなデザイン、ポケットやベルトなどの実用的なディテール、ブランドカラーとなったベージュ(白)と黒のモノトーンの色使い、雑嚢にヒントを得たといわれる肩掛け可能なシャネル・バッグ、ざっくりとしたツイードによるカーディガン・スーツ(いわゆるシャネル・スーツ)など、シャネルは、それまでの女性のイメージをことごとく拒否する「シンプルで着心地が良く、無駄がない」独創的なスタイルを次々と考案し、その後の女性ファッションに与えたインパクトの大きさから「シャネル革命」と称された。
回想録の著者ポール・モランは、その過激なまでの姿勢から、シャネルを「皆殺しの天使」と呼んだ(ポール・モラン 『シャネル 人生を語る』(山田登世子訳、中公文庫、2007年初版)。
「いったいわたしはなぜこの職業に自分をかけたのだろうか。(中略)自分の好きなものをつくるためではなかった。何よりもまず、自分の嫌いなものを流行遅れにするためだった」
「真の文化は何かをそぎ落としてゆくが、モードにあっても、美しすぎるものから始まってシンプルなものへと到達するのが普通だ」
「プロのクチュリエは奇抜なモードを考えたりしない。むしろ行き過ぎをどれだけ抑えるかを考えるものだ。わたしは保守的過ぎるぐらいが好き。中くらいなものを良くしてゆくのが大切なのよ。」
「女はありとあとあらゆる色を考えるが、色の不在だけは考えが及ばない」
「シャネル革命」とは、一種の質素革命だった。シャネル自身もはっきりと次のように語っている。
「間接的にではあれ、華美なパリジェンヌに素朴な美をおしつけたのはオーヴェルニュの叔母たちなのだ。あれから歳月がたち、今になってようやくわかる。厳粛な地味な色がすきなのも、自然界にある色を大事にしたがるのも、アルパカ製の夏服や羊毛(チュビオット)の冬服が修道服みたいな裁断になっているのも、みなモン=ドール(★1)からきているのだということが。パリのおしゃれな女を夢中にさせた禁欲的なファッションはみなそこから来ているのだ。私が帽子をきっちりかぶるのも、オーヴェルニュの風が帽子をふきとばしそうだったからよ。つまりわたしはパリを征服したクエーカー教徒だったのだ」
この回想録では語られなかったことがある。
シャネルは回想録で、6歳で母が死んでオーベルニュに住む母方の叔母たちのところに預けられて育ったと語っているが、実際にシャネルが少女時代をすごしたのは、オーヴェルニュ地方の叔母の元ではなく、オーバジーヌ(★2)の孤児院として活用されていた僧院だった。
家に寄り付かない行商人の父親といつもその後を追っていた母親との間に生まれ、母親が12歳で亡くなった後、父親はシャネル姉妹をリムーザン地方のオーバジーヌの孤児院に置き去りにして行方をくらまし、ニ度と姿を現さなかった。シャネルは12歳で親に捨てられた孤児として、孤独と屈辱のなかで少女時代を過ごしたのだった。
シャネルは、父はワインのネゴシアンで商用でアメリカに渡ったとの言説を捏造して、自分を捨ててニ度と姿を見せなかった父のことを、複雑な愛憎の想いのなかに閉じ込めている。シャネルは息を引き取るまで、父はいつか迎えに来ると密かに信じていたとの証言もある。
(*Coco Chane in 1937 Photo by Boris Lipnitzki, source:https://www.pinterest.jp/pin/156429787030105737/)
ニーチェは「道徳における奴隷一揆は、ルサンチマンそのものが創造的となり、価値を生みだすようになったときにはじめて起こる」(『道徳の系譜』)と言っている。
ルサンチマンとは、いわゆる、ねたみ、ひがみ、やきもちなどの怨恨のことだが、ニーチェは、価値の転倒を引き起こすにまでに至ったレベルの怨恨を指してルサンチマンと呼んだ。
「シャネル革命」とは、シャネルのルサンチマンによる<価値の転倒>だった。シャネルは、オーバジーヌの孤児院での質素な生活体験を、孤独と屈辱をテコにしてシンプルという美意識にまで昇華させ、それまでのパリにおける貴族的な美意識を転倒させ、今日につながる新しいエレガンスを生み出した。
ニーチェ的な言い方をすれば、さしずめ、エレガンスにおける奴隷一揆と呼ぶべき復讐劇だった。
(*Coco Chanel in 1962,Photo by Douglas Kirkland, ,source :https://theredlist.com/wiki-2-16-601-788-view-portrait-1-profile-kirkland-douglas.html)
「シャネル革命」の原点となったジャージー素材のルーツは、メンズニットや男性用乗馬ズボンであり、シンプルな仕立てのヒントは、愛人たちの軍服や乗馬服やテーラード・スーツであり、シャネルスーツの定番生地のツイードは、恋人だったイギリス貴族ウエストミンスター公爵のワードローブに由来し、白と黒の色使いは、孤児院時代の孤児たちや修道女の制服の記憶に基づき、シャネルのキーカラーであるベージュと黒は、ロマネスク様式の僧院の石壁(ベージュ)とスレート屋根(黒)にインスパイアされたものだった。
シャネルは、フランス的フェミニンに対してアングロサクソン的ダンディーを、社交界の虚栄に対して孤児院の質素さを、都会の華美に対して田舎の素朴さを、洗練に対して実用を、貴族的ゴージャスさに対してロマネスク僧院の抑制の美学を対置することによって<価値の転倒>を図る。
さらには、ジュエリーに関して「すごく立派な宝石を見ると、皺とか未亡人のしなびた肌とか骨ばった指、死、遺言、公証人、葬儀屋なんかを連想してしまう」あるいは「首のまわりに小切手をつけるのと同じことではないだろうか」と言い放ち、ビジゥ・ファンテジーと呼んだ模造真珠などを大胆に使ったイミテーションのジュエリーを発表したのもシャネルであり、あるいは「そうよ。一度発見されてしまえば、創造なんて無名のなかに消えてゆくものよ」とうそぶいて自らのデザインがコピーされるのをむしろ歓迎したのもシャネルだった。
シャネルによる<価値の転倒>の復讐劇は、本物に対してフェイクを、オリジナリティに対してコピーを対置させるという地平まで行き着いている。
シンプルは現状維持からは生まれない。あるいは、何もしないことがシンプルではない。シンプルは既成価値へのノン、既成の<価値の転倒>によって誕生する。女性ファッションにおけるガブリエル ”ココ” シャネルという《シンプルの系譜》はそう教えてくれる。
(*Coco Chanel in 1962,Photo by Douglas Kirkland, source :https://www.telegraph.co.uk/culture/photography/11223039/coco-chanel.html
(★1)モン=ドールとは、オーヴェルニュ地方の山 Mont Doleのこと。
(★2)オーバジーヌがあるリムーザン地方はオーヴェルニュ地方の西隣に位置する。
*初出 zeitgeist site
参考文献 :
ポール・モラン 『シャネル 人生を語る』 (山田登世子訳、中公文庫、2007年初版
山口昌子 『シャネルの真実』 (新潮文庫、2008年初版)
山田登世子 『シャネルー最強ブランドの秘密』 (朝日新書、2008年初版)
ジャスティン・ピカディ 『ココ・シャネル 伝説の奇跡』 (栗原百代、高橋美江訳、マーブル・ブックス、2012年初版)
イザベル・フィメイユ 『素顔のココ・シャネル』 (鳥取絹子訳、河出書房新社、2016年初版)
リサ・シャネリー 『シャネル、革命の秘密』 (中野香織訳、ディスカヴァートゥエンティワン、2014年初版)
海野弘 『ココ・シャネルの星座』 (中公文庫、1992年初版)
E・シャルル=ルー『シャネル ザ・ファッション』(榊原晃三訳、新潮社、1980年)
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