失われつつある東京の坂と路地を訪ね歩く「東京坂路地散人」シリーズ。
今回は再び濹東の地に荷風の足跡をたどる。
「晴れて風寒し。午前執筆。午後中州病院に往き薬を請ふ。乗合汽船にて吾妻橋に至り東武電にて請地曳船玉ノ井などという停車場を過ぎ堀切に下車す。(中略)電車停車場は荒川放水路の土手下にあり。(中略)見渡すかぎり枯蘆の茫々と茂りたる間に白帆の一、二片動きもやらず浮かべるを見る。」(『断腸亭日乗』 昭和七年(1932年)一月十八日)
荷風はこの日訪れた荒川放水路と濹東の印象によほど惹かれたのか4日後の一月廿ニ日にも再び堀切橋を訪れている。
「去冬より中州に赴く日には、その帰道夕飯の頃まで処定めず散策することになしたれば、(中略)千住大橋を渡り旧街道を東に折れ堤に沿ひて堀切橋にいたる。日は早くも暮れてた黄昏の月中空に輝き出でたり。陰暦十二月の十五夜なるべし。枯蘆の茂りややまばらなる間の水たまりに、円き月の影盃をうかべたるが如くうつりしさま絵にもかかれぬ眺めなり。」(同 昭和七年(1932年)一月廿ニ日)
同日の『断腸亭日乗』には「堀切橋辺より四つ木橋を望む」と題された手描きのスケッチが添えられている。
荷風は放水路を訪れる心境をこう語っている。
「四、五年来、わたくしが郊外を散行するのは、かつて『日和下駄』の一書を著した時のように、市街河川の美観を論述するのでもなく、また寺社墳墓を尋ねるためでもない。自分から造出す果敢(はかな)い空想に身を打沈めたためである。平生胸底に往来している感想に能く調和する風景を求めて、瞬間の慰藉にしたいためである。その何が故に、また何がためであるかは、問い詰められても答えたくない。唯おりおり寂莫を追求して止まない一種の欲情を禁じえないのだというより外ない。」(『放水路』)
「ここに杖を曳く時、わたくしは見る見る薄く消えて行く自分の影を見、一歩一歩風邪に吹き消される自分の跫音(あしおと)を聞くばかり。いかにも世の中から捨てられた成れの果(はて)だというような心持になる。」(同)とも書いている。
永井荷風にとって、独り世の中に背を向けて生き続けるためには、「成れの果」が実感できるこうした見立てが必要だったのだろう。近代日本の自意識を生きたこうした態度が現代の我々を荷風へと向かわせる、あるいは荷風から逃れられない最大の理由なのかもしれない。
「われわれは荷風を生きている。生きざるをえない。」か(『アイポッドの後で、叙情詩を作ることは野蛮である』 福田和也 扶桑社)
東武伊勢崎線「堀切」駅は、荷風の時代と同じように「荒川放水路の土手下」にひっそりという感じであった。大正14年に建てられた木造平屋建の、ロータリーや商店街などとは無縁の昔ながらの駅だ。
堀切は小津安二郎の『東京物語』の笠智衆の長男の山村聡が医院を開業しているところとして設定されており、この駅舎も登場している。(『銀幕の東京』 川本三郎 中公新書)
土手を上るとすぐ目の前に荒川が広がる。こんなにも川に近い駅が他にあるのだろうか。
下流を望んでまず目に入るのは首都高速6号向島線。荷風の描いた四木橋も高速が邪魔して見えない。
対岸の堀切ジャンクションあたりのひっきりなしに流れる車の動きのせいか、あるいは、訪れた日がよく晴れたのんびりとした気分の午後だったせいか、荷風が書いているような寂莫、荒涼、茫漠というような印象は薄い。
殺風景ながら視線をさえぎるものが何もないどこかほっとするような都市のエッジの風景。今度は荷風と同じように冬の夕暮れなどに再訪してみよう。
空には見事ないわし雲。今年の例をみない激しい残暑もようやく終わりが近いようだ。
「ここに水門が築かれて、放水路の水は、短い掘割によって隅田川に通じている。わたくしはこの掘割が綾瀬川に名残ではないかと思っている。」(『放水路』)
荷風が書いている旧綾瀬川と首都高速と東武線が交差するインダストリアルでメカニカルな風景。むしろこうしたハードな施設がむき出しになっている風景に都市の過酷さや荒涼感が滲み出している。
旧綾瀬川を渡ったあたりで、路地の風景を探して墨田5丁目に分け入る。
青空と野球と破れた金網。絵に描いたような日本の夏だ。
感動ものの「鐘ヶ淵歯車製作所」の表示!工場と書いて「こうじょう」ではなく「こうば」と読むのが当たり前だった時代と世界。ここにはそうした世界がまだまだ残っている。
鐘ヶ淵通りから西町買物通りを抜けいつの間にかvol.1で訪れた旧玉の井のいろは通りへ。
年代モノのガラスケースが見事な「シミズ」でカツパンと焼そばパンとエビグラタンパンを購う。
2度目に堀切を訪れた昭和七年(1932年)一月廿ニ日の『断腸亭日乗』にはこうある。「四木橋に影近く見ゆるあたりより堤を下りれば寺嶋町の陋巷なり。道のほとりに昭和道玉の井近道とかきたる立札あり。」
永井荷風によって「玉の井」が発見された瞬間だ。
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