ピルピルという料理をご存知だろうか。
ピルピルとはバスク地方のバカラオ(干しダラ)を使った料理。材料も作り方も極めてシンプルながら本場のバスクには選手権があるほど奥が深い料理。ちなみにピルピルとは、この料理を作っている時の音からきています。
旨みが凝縮した干しダラの身もさることながら、干しダラの旨みとオリーブオイルが文字通り渾然一体となって生み出される独特のソースがこれまたいけるんですナー。このソースだけで軽くバゲット1本ぐらいたいらげられそうな美味しさです。
今回はそのピルピル作りの話題。
干しダラは前回のバスク旅行で仕入れてきたものが既になくなってしまったので、生ダラに塩をまぶして1~2日ほど置いた自家製バカラオを利用。脂が乗っている生タラが手に入る時期は、この自家製バカラオのふっくらとした味わいもなかなか良いものです。
材料、作り方は、いたって簡素簡単。
(1)土鍋(またはフライパン。ちなみにカスエラと呼ばれる浅い土鍋を使うのが本
格的なバスク式。)に干しダラ、オリーブオイル、ニンニク、赤唐辛子を入れる。
(2)極弱火にかけ、鍋を円を描くように回し続ける。せわしなく回し続ける必要は
なく、ゆったとした心構えで一定のリズムで回し続ける。
(3)そのうちごく弱い音だが鍋からピルピルという音が聞こえてき始め、オリーブ
オイルが徐々に乳化し白っぽくなり始める。この段階に至るまで約10分ぐら
い。それまでひたすら鍋を回し続ける。干しダラはどこかで一度ひっくり返して
全体に火を通す。
(4)オイルが完全に乳化してクリーム状のどろっとした状態になったら完成。
ここまで約20分程度。
簡単至極なピルピルとはいえ、いざトライしてみたもののなかなかオイルが乳化しないという話も良く聞くところです。シンプルな料裡ほど奥が深く、マニュアル化できないというのも確かです。
そこで、ピルピル作りのプロセスを少し原理的に考えてみましょう。
ピルピル作りのプロセスを化学的な視点からみてみると、ピルピルとは、干しダラをオイルに入れて熱を加えることにより、干しダラに含まれているタンパク質の一種であるコラーゲンが加熱によってゼラチンに変性して旨みといっしょに溶け出し、タンパク質の持っている乳化作用と鍋を回すことによる攪拌とによりオイルと水分が混ざり合って白っぽいどろっとしたエマルション(乳濁液)が作り出される料理、という風に表現できるかと思われます。
乳化作用とは、いわゆる界面活性作用のことで、せっけんが油汚れを吸着して洗浄効果を発揮するのと同じ作用です。料理でいうと卵黄と油を攪拌してマヨネーズを作る原理やパスタのゆで汁を入れてパスタソースを乳化させる原理と同じことです。マヨネーズの場合は、卵黄に含まれるレシチンが、パスタソースの場合はゆで汁に含まれるサポニンという物質が界面活性剤として作用して油の分子を親水性の分子で覆って(この状態をミセルといます)水分に親和させ、水と油が混ざりあったエマルションを作り出します。この辺のことをさらに詳しく知りたい方は”pasta fanatic” や「カソウケン」というサイトが正確かつ分かりやす解説してくれています。
こうした化学的な理解から見えてくるピルピル作りのポイントを述べてみましょう。
まず、鍋を火にかけてしばらくはまったく動きがなく、ほんとにこんなんで乳化するの?という心配に駆られますが、そこは忍の一字で一定間隔でフライパンを回し続けることが肝要です。コラーゲンがゼラチンに変性して溶け出すには一定に時間が必要だからです。
干しダラとオリーブオイルの量のバランスも大切です。干しダラの量にもよりますがあまり大きな器を使ってオイルの量が多すぎるとうまく乳化しない場合があります。逆にさらっとしたソースにしたい場合は、オリーブオイルが乳化し始めてからミネラルウォーターを少しずつ加えて攪拌すると良いでしょう。
タンパク質は普通、熱を加えると凝固する訳ですが、コラーゲンに関しては逆に熱を加えると溶け出すという性質を有しています。魚のコラーゲンは人の体温よりも低い温度で変性するので油の温度はせいぜい40℃程度で十分。フライパンなど熱が伝わりやすい器具を使う場合は、逆にフライパンを時々火から外して温度があまり高くならないようにする工夫が必要です。
そういえば、ハタと気がついたのですが鴨のコンフィを作り終わった時に鴨油の底に溜まるブラウンの液状のものもコラーゲンが溶け出したゼラチンで、コンフィの場合は、ピルピルとは逆になるべく鍋の中のオイルを動かさないようにゆっくり加熱する料理なので、溶け出したゼラチンはそのまま沈殿してオイルの底に溜まっていた訳です。
また、今回、いろいろ調べる中で、九州系の豚骨スープが白濁しているのはぐらぐらと煮ることにより豚骨から溶け出したコラーゲンとスープが乳化するから、逆に澄んだスープを作る場合は、同じ豚骨や鶏がらでも煮立てないことが肝要であることなど、一見全く異なる料理の背景に意外にも共通の化学的原理があったことを教えられた次第です。
さらには、動脈硬化に豆腐が良いのは、大豆に含まれるサポニンが界面活性剤として作用して、コレステロール同士を固まりにくくする、あるいは、血管に付着したコレステロールを剥離させる作用によるものであるなど、ピルピルと豆腐という全く遠い存在に意外にも相通じる原理が隠されていたことを知ったのも大きな驚きでした。
という訳で「料理の化学」。面白いですネー。はまりそうです。
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