遅れてきたシネマディクトの記録。2014年1月~6月に観た映画75本の記録。劇場とDVDまた2回目、3回目の鑑賞などゴチャ混ぜです。
1.リバティ・バランスを撃った男/ジョン・フォード(1962)
東部ですっかりエスタブリッシュメントとなったジェームズ・スチュワートが真実を語り、西部に戻ることを表明するラストは、西部劇への挽歌として忘れがたい。この作品がジョン・フォードとジョン・ウエインが組んだ最後の西部劇となった。劇中の食堂で出てくるステーキはゆうに40cmはあったね。<1月1日>
2.華麗なるギャツビー/バス・ラーマン(2013)
本作の映画化は5回目だそうだ。ストーリーは原作にかなり忠実。それでいてギャツビーの持っている特異な倫理観みたいなものが伝わってこないのは何故か?派手な衣装や美術や演出が逆に肝心なところをスポイルしてしまっているからか。<1月3日>
3.とんかつ一代/川島雄三(1963)
上野のとんかつ屋を舞台にした喜劇。主人公の「とんQ」(「双葉」がモデルか)の親父は一徹な森繁久弥。対する森繁が修行した西洋料理屋「青龍軒」(もちろん精養軒)のこれまた頑固なシェフに加藤大介。ぴったりはまったキャラクターと笑いのネタのこれでもかという連続。怪しげな実験家を演じる三木のり平に注目。花街と高度経済成長の槌音が共存していたような今や遠い昔の時代が蘇る。<1月4日>
4.アルゴ/ベン・アフレック(2012)
1979年のイランのアメリカ大使館占領事件でカナダ大使公邸に匿われていた大使館員の救出作戦を描いた実話がべース。「アルゴ」というSF映画のロケハンに来たハリウッドのスタッフを装ってイランを脱出するというのがアメリカらしい。ハラハラ度高し。<1月5日>
5.ライフ・オブ・パイ/アン・リー(2012)
リチャード・パーカーという虎の名前がカニバリズムを暗喩していたり、3Dの迫真の映像で描かれる虎との漂流の話そのものが虚構であることが最後に暗示されたり、さらにもうひつの真実という話も・・・・。主人公が虎という物語を必要としたようにそれを観ている側も映画という虚構を必要としているのだ、とでも言いたげだ。<1月5日>
6.椿三十郎/黒澤明(1962)
好評だった『用心棒』の続編的作品。伝説の最後の決闘シーンは何度見ても三船敏郎が仲代達矢をどう斬ったのか速くて分からない。逆抜き不意打ち斬りというそうだ。三船の30人斬りの殺陣も見もの<1月12日>
7.黄色いリボン/ジョン・フォード(1949)
戦闘シーンをあえて登場させなかったり、インディアンが襲撃出来ないように彼らの馬を野に放ったりするストーリーは、今になって観ると逆にご都合主義の演出に見えてしまう。オープニングやラストで馬が全速力で疾走するシーンは迫力を失っていない。<1月16日>
8.キリマンジャロの雪/ロベール・ゲディギャン(2012)
馘首要員を選ぶくじ引きで自らもリストラされてしまった労働組合委員長とその妻が紆余曲折しながらたどり着くある決断。思いやりも勇気の一種であると教えてくれる作品。飄々とした雰囲気のジャン・ピエール・ダッサンははまり役。暇な夫がタマネギを剥きながらチキン・ヤッサを作るシーン、夕暮れのベランダで自らの暮らしぶりに思い至るシーン、夫婦で海辺に座りお互いの想いを話し合うシーンなど印象的だ。挿入されるジョー・コッカーが歌う”Many rivers to cross” も合いすぎるぐらい合っている。<1月17日>
9.プロメテウス/リドリー・スコット(2012)
タイトルから人類の謎を解くストーリーかと思いきやエイリアンのルーツを探る映画だと判ってあてが外れる。作品内で完結しない謎が多いのも不親切。<1月18日>
10.リリーシュシュのすべて/岩井俊二(2001)
いじめ、強姦、売春、窃盗、リンチ、自殺、殺人など、地方都市を舞台に中学生の不定形で孤立した生が描かれる。同時に大きな青空や緑の稲穂の水田など美しい自然や風景が描かれているのが印象的だった。両者はお互いにまるで無関係で、風土や風景から切り離された人の孤立を象徴しているようだ。友達とネット以外に世界を見出せない現実は今まさに進行中だ。<1月22日>
11.愛・アムール/ミヒャエル・ハネケ(2012)
観終わった時、この「平凡」なタイトルが含意する奥深い意味に悩まざるを得ない。病に倒れた妻を介護する老年の夫。その新たな生活はそれまでの夫と妻の微妙な関係性を増幅し変性してゆく。閉じた世界を暗示する高級アパルトマンの濃密な空間描写とジャン・ルイ・トランティニャンの恐るべき演技。<1月25日>
12.夕陽の丘/松尾昭典(1964)
ヒーローとヒロインの自己を巡る対立という『憎いあンちくしょう』で提示されたテーマがここでもリフレインされるが、もちろん同作のように止揚されることはなく終わる。ちなみにムードアクションという言葉は本作から。裕次郎が身を潜める函館の「北洋ホテル」という場末のホテルがパリあたりにありそうな雰囲気。<1月29日>
13.ミスティック・リバー/クリント・イーストウッド(2003)
この後味の悪さにこそ価値を見出すべき作品。ヴァルネラヴィリティ(攻撃誘発性)は決まって悲劇を誘い込んでしまい(ティム・ロビンス)、独善的な正義は孤独の代償を払わされ(ショーン・ペン)、追従者は一生気後れを感じながら生きる(ケビン・ベーコン)。世の中は不条理に満ちているということか。脚本は『L.A.コンフデンシャル』のブライアン・ヘルグランド。あえて割り切れない幕切れ、というところがそっくりだ。<2月2日>
14.博奕打ち 総長賭博/山下耕作(1968)
「絶対的肯定の中にギリギリに仕組まれた悲劇であろう」と三島由紀夫は本作を絶賛していた。完璧ともいえる様式的世界を構築し、それぞれの「善」が図らずも死を生むという悲劇を創出して見事。しかしその様式はすでに遠く、「善」は残念ながら愚かさにしか見えないことも言い添えておこう。<2月7日>
15.鉄くず拾いの物語/ダニス・ダノヴィッチ(2013)
舞台はボスニア・ヘルツェゴビナ。出演者は実話の本人たちで監督が13,000ユーロの自己資金で9日間で撮ったそうだ。ロマ族の主人公は健康保険がないため妻の手術に多額の費用を請求される。鉄屑を集め、自らの車も解体し、費用を工面しようとする主人公。その寡黙な姿が現実の厳しさを浮かび上がらせる。<2月11日>
16.クリムゾン・タイド/トニー・スコット(1995)
潜水艦ものの名作。戦争はひょっとしたら意外にこういう不完全な情報や疑心暗鬼から始まるのかもしれないと思わせる。内包している核運用上の問題の深刻さに比べ、最後はうやむやにハッピーエンドとなるところも怖い。ジーン・ハックマンはこういう頑固な癖のある役をやると上手い。<2月11日>
17.太陽の墓場/大島渚(1960)
チンピラ、ルンペン、バタ屋、もぐり医者、怪しげな動乱屋などドヤ街を舞台に汚れた肌に汗がにじみ出る映像が暑く熱い。実際に大阪西成区の釜が崎(現あいりん地区)にロケを敢行している。「日本はマシになるんか?ここにおるルンペンはおらんようになるんか?」と動乱屋に詰め寄る炎加世子のせりふが忘れがたい。『太陽の季節』(1956)への大島渚流批評でもある。そういえば主演の津川雅彦は長門博之の弟だった。<2月14日>
18.隠された記憶/ミヒャエル・ハネケ(2006)
日常が隠し撮りされたヴィデオが送りつけられてくる。それは過去のある出来事に端を発するものだった。ミヒャエル・ハネケ監督はいつものように常識や日常に潜む闇を露呈させる。「犯人」は主人公の封印された深層心理なのか。主人公が「見る側」のマスコミ関係者というのも象徴的だ。観る者に「見る側」の後ろめたさを気づかせるような意味深なラストシーンが不安な余韻を残す。<2月18日>
19.どん底/黒澤明(1957)
何も持たない最底辺の者たちを描きながら人間の業を肯定するような不思議な希望も漂わせている。主人公の三船敏郎がかすむ脇役陣の存在感。複数カメラによる同時撮影の臨場感もすごい。「ちぇっ、せっかくの踊り、ぶちこわしやがった。馬鹿野郎」。三井弘治の最後のセリフが究極の自己韜晦とシニシズムを漂わせて幕が下りる。<2月24日>
20.シャレード/スタンリー・ドーネン(1963)
以前観たストーリーはすっかり忘れていた。ケーリー・グラントがスーツを着たままシャワーを浴び、スーツの上から身体を洗うシーンがおかしい。斬新なタイトルバックは007でガンバレル・シークエンスを開発したモーリス・ビンダーによるもの。もちろんヘンリー・マンシーニのテーマソングも最高。<3月1日>
22.浮雲/成瀬巳喜男(1955)
敗戦とともに夢が幻となり、戦後の現実に適応できない男と女。高峰秀子の不貞腐れた深情けぶりもすごいが、森雅之の不思議な魅力をたたえるダメ男ぶりもすごい。「戦争」に帰るように屋久島に逃避する2人を待ち受ける最後は当然、幸福であるはずがない。<3月4日>
22.デューン 砂の惑星/デヴィッド・リンチ(1985)
当初はアレハンドロ・ホドロフスキーが企画していたが頓挫し、デヴィッド・リンチが作品化したSF大作。5時間あまりの素材を半分以下にした関係で訳がわからない映画としても有名。『風の谷のナウシカ』の王蟲の原型であるサンドワーム、水を循環させるスーツ、空中を浮遊するグロテスクな男爵、生きものを潰して飲むジュースなどヘンテコな小道具やアイディアが目白押し。ホドロフスキー時代にかかわっていたダン・オバノンが後に当時のスタッフを結集して作ったのが『エイリアン』。<3月5日>
23.蜘蛛巣城/黒澤明(1957)
『マクベス』を映画化したなかで最高峰といわれる作品。室内は能仕立てによる張り詰めた空気の映像。一転、野外では映画ならではのスペクタクル感あふれる展開となり、動と静のコントラストが物語りを牽引してゆく。三船敏郎が矢を射られるラストシーンは何度見ても圧巻。<3月10日>
24.ショート・カッツ/ロバート・アルトマン(1993)
レイモンド・カーヴァーの複数の小説をベースにしたアルトマンお得意の群像劇。ロサンゼルス郊外に住む22人の日常を微妙に交差させながら淡々と描く。全員が全員、身勝手で無神経でイライラしてどこか不安げだ。個々のエピソードもさることながら、カーヴァーの残酷さとアルトマンのシニカルさがミックスしたような突き放した味わいが絶妙だ。<3月13日>
25.シェフ/ダニエル・コーエン(2012)
2人のシェフがある料理にハーブを入れるか入れないかで口論になり「フォーシーズンズ東京のオープンの時には入れた」とのセリフがおかしかった。ほのぼの路線の最近のジャン・レノは今ひとつ。<3月15日>
26.現金に手を出すな/ジャック・ベッケル(1954)
老いが忍び寄る老ギャングの物語。演じるのはジャン・ギャバン。悪役リノ・ヴァンチュラの本格的映画出演の第一作でもある。隠れ家のマンションでのフォアグラとラスクとナントのワイン(ミュスカデか?)の夕食のシーンやステンガンをランソンの木箱に隠して運ぶなどのシーンが忘れがたい。テーマ曲「グリスビーのブルース」良し。<3月17日>
27.ザ・マスター/ポール・トーマス・アンダーソン(2012)
戦争のトラウマで社会に適応出来ない男。戦後社会を象徴するようなフォニーな新興宗教の教祖。お互いがお互いを必要とする関係の結末は?思わせぶりな映像は、男はトラウマを乗り越えたようにも見えるし、全く変わっていないようにも思える。男は教祖の宗教など一度も信じはしなかったことは確かだ。<3月18日>
28.雨月物語/溝口健二(1953)
白黒映像美の極致。女房たちが廊下の明かりを次々に点けてゆくシーン、京マチ子が闇から現れるシーン、森雅之が妻を探して家の中を巡る長回しのシーン、田中絹代が繕いものをする居間に朝日が差し込んでくるラストシーンなど。こういう幽玄な光と空間の関係性は実生活では失われて久しいが、ということはそれらを感得する美意識が失われるのも時間の問題ということか。<3月21日>
29.ローリング・サンダー/ジョン・フリン(1977)
『タクシー・ドライバー』(1976)の次の年、同じポール・シュレイダー脚本のベトナム帰還兵の物語。最後に若きトミー・リー・ジョーンズが軍服姿で生き生きと笑う姿はロバート・デ・ニーロの笑いと並びベトナム戦争がもたらした狂気を感じさせて怖い。主演の寡黙なウィリアム・ディヴェイン良し。主題歌「サンアントニオ」(デニー・ブルック)は当時の雰囲気を蘇らせる。<3月22日>
30.暗殺の詩/ロベール・アンリコ(1973)
主人公の虚実、善悪、正常異常の境をあえてあいまいなまま引っ張るストーリーが上手い。影のある主人公を演じるのはジャン・ルイ・トランティニャン。そのいかにも怪しい男を何故か信じ切って協力するのが元政治活動家のフィリップ・ノワレ。特段の理由や説明はない。「男は黙って」という美学は同監督の『冒険者』と同じだ。<3月23日>
31.組織/ジョン・フリン(1973)
B級アクションの傑作と言われている作品。銃で撃たれながらも”Good gays always win”とうそぶいて大笑いしながら救急車で逃げるラストが最高。原作は「悪党パーカー」シリーズで有名はロバート・スターク。主演はロバート・デュバル(この頃から禿げている!)とジョン・ドン・ベイカー。<3月29日>
32.ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ/ヴィム・ヴェンダース(1999)
当時良く聴いたライ・クーダープロデュースのアルバムは1997のリリース。中心ミュージシャンのコンパイ・セグンドを始めほとんどの人が2003~2005年にかけて亡くなっている。<3月30日>
33.ザ・プレイヤー/ロバート・アルトマン(1992)
いかにもアルトマンらしい自己批評的自己言及的映画内映画をめぐる作品。冒頭の8分を越える長回しで主要な登場人物をすべて説明しきてしまうアクロバティックな演出は特筆もの。永遠にハッピーエンディングを作り続けるハリウッドへの強烈な皮肉。こういうの嫌いな人も多いのでしょうねー。<4月4日>
34.仁義なき戦い 代理戦争/深作欣ニ(1973)
シリーズ第3弾。広野が主役に戻り、加藤武と小林旭が登場する。しかし観れば観るほど山村義雄こと金子信雄を中心に廻っているストーリーなのだ。<4月4日>
35.仁義なき戦い 頂上作戦/深作欣ニ(1974)
裁判所の廊下で再会した菅原文太と小林旭が言葉を交わすラストシーン。窓から吹き込む雪に雪駄の裸足の足がかじかむ様子は、身を引くことを決したヤクザの越し方の悔恨と行く末のあわれを象徴しているようで秀逸。ひとり日活スタイルを放つこの当時の小林旭のかっこよさ。笠原和夫の最後の脚本。<4月5日>
36.突破口/ドン・シーゲル(1973)
登場人物全員がお互いをだまし出し抜くすごい世界。狡猾さと冷酷さととぼけた味が共存した不思議な魅力のアウトローをウォルター・マッソーが演じる。なにかにつけてガムを噛み始めるなどのちょっとしたキャラクターづくりもなかなか。サングラスにジャンパー、大きなディンプルのネクタイなどダサかっこいいファッションも妙に魅力的だ。ラロ・シフリンの音楽もはまっている。<4月12日>
37.白痴/黒澤明(1951)
元々265分のフィルムを4割以上カットして166分にしたという作品なので、流れの悪さ、意図の不明瞭さ、短絡的な感じは否めない。それよりも主演4人の演技バトルが見所。ムイシュキンを演じる森雅之は単なる純真さだけではない独特の胡散臭さみたいなものをも漂わせた演技だが、ドストエフスキーの登場人物の無垢なるものの怖さは、ちょっと違うイメージのような気もする。小津作品とうって変わった原節子の怖い眼も見もの。<4月17日>
38.座頭市/三隅研次(1962)
めくらでヒールという不気味で特異な仮説を肉体化し映画的リアリティとして確立した勝新太郎の才能。今見てもその存在感は凄みを放っている。対するは天地茂演ずる労咳を患う落ちぶれた剣の達人。照れたような笑みに込められた道をふみはずした者のやさぐれ感、自己嫌悪、矜持、孤独感がこれまた胸に迫る。心を交わすはぐれもの2人に最期に訪れるのはやむにやまれぬ一騎打ち。2人の思いを反映したかのような殺陣のアイディアが見もの。<4月25日>
39.偽りなき者/トマス・ヴィンダーベア(2012)
予断の恐ろしさというテーマ。大胆な省略によってサスペンスを持続させるシナリオ。ひょっとしたらやっぱり異常者かも?と思わせる意味ありげなマッツ・ミケルセンの表情。2人の子供の正反対な反応に複雑な気持ちを抱かない親はいないだろう。<4月26日>
40.舟を編む/石井裕也(2013)
主人公の住む早雲荘や辞書編集部のセットが良くできている。オダギリ・ジョーは良い役柄ではまっていた。<4月29日>
41.シャーロック・ホームズ シャドウ・ゲーム/ガイ・リッチー(2011)
舞台と環境は原作に忠実でキャラクターと撮影技法は現代的というハイブリッド発想で蘇るホームズもの。名作の映画化のひとつの在り様を提示している。アメリカ人のロバート・ダウニーJr.の演じるラフでタフで変わり者のひょうひょうとしたホームズ像はなかなか新鮮。「アメリカ」を上手く取り入れて英国らしさを再創造するというアイディアは007映画の当初からの発想を思わせる。<4月30日>
42.夜になるまえに/ジュリアン・シュナーベル(2000)
シュナーベルの詩的な映像と実話に基づくリアリティが上手くバランスしている。キューバ革命の裏側で起きていた自由な表現やマイノリティへの弾圧。主演のハビエル・バルデムは相変わらず芸達者。本作ではどうみてもナイーブな心性のゲイ青年にしかみえない。ジョニー・デップの際どい2役にも感嘆。主人公がたびたび食べるキューバ風コロッケが旨さう。<5月1日>
43.スタンリーのお弁当箱/アモール・グプタ(2011)
インドにおける児童労働問題が、事大主義的でなく、恨めしげにでもなく、悲惨にでもなく、淡々と、どちらかというと明るく描かれる。旨そうなインド料理が弁当として盛りだくさんに登場。困難な状況にひとりで明るく立ち向かう少年主人公と何故か勝手に子供の弁当を食べる先生役は本当の監督親子なのだそうだ。<5月16日>
44.愛しのタチアナ/アキ・カウリスマキ(1994)
無口で無骨で変わり者でも大丈夫!といういつもの暖かいメッセージ。やたらとコーヒーを飲む仕立て屋、ウォッカをがぶ飲みする車の修理屋などいつもながらのひとくせあるキャラクターづくりがおかしい。<5月3日>
45.浮き雲/アキ・カウリスマキ(1996)
運転手と給仕頭の夫婦がそろって失業してしまう。いろいろあるが最後はしっかりハッピーエンディングの人生賛歌の物語。随所に出てくるグリーンとブルーの配色のインテリアはカウリスマキならでは。登場する料理が皆まずそうなのも定番だ。<5月3日>
46.仁義なき戦い 完結編/深作欣ニ(1974)
宍戸錠が大友勝利として登場。松方弘樹と対峙する2分半の長まわしのシーンは有名。激昂してテーブルの上のグラスや皿を払いのける即興の演技も見もの。ガラスの破片でジョーさんの左手の静脈が本当に切れたそうだ。作品としては前作のラストが秀逸だっただけに、今更感は否めない。脚本は高田宏治。<5月4日>
47.そこのみにて光輝く/呉美保(2014)
佐藤泰志原作の映画化作品。同じ原作者の短編集を映画化した『海炭市叙景』よりずっと良い。短編の映画化は難しい。寡黙な綾野剛は意外に悪くない。女の弟役の菅田将輝はいい役柄。実際にいそうなキャラを巧に演じていた。<5月6日>
48.たそがれ清兵衛/山田洋次(2002)
「侍は自分を殺していきなければならない。その抑制こそが生きる姿の緊張と美しさを生んでゆく」(川本三郎)とは、この作品にもあてはまる時代劇の面白さだ。短編の原作とは違い余韻で終われない映画ゆえのラストがそれまで緊張感を弛緩させてしまい惜しい。宮沢りえがさっと襷をかけるシーンが昔風の所作を思い起こさせ美しい。<5月7日>
49.二つの世界の男/キャロル・リード(1953)
冷戦下のベルリンで東西間の陰謀に巻き込まれるヒロイン。何気ない不安な雰囲気の作り方が上手い。敵なのか味方なのかわからない、東西ベルリンを行き来する怪しげな男をジェームズ・メイスンが演じる。終戦8年後、まだベルリンの壁はなく、東西間は建物が撤去された更地ゾーンになっていたことが判る。<6月13日>
50.ある過去の行方/アスガー・ファルハディ(2014)
日常を描写しながらそこに息苦しいほどのサスペンスを創り上げる手法は相変わらず。しかし本作では謎はあえて謎のまま残されかつ真実も藪のなかで終わる。その過程で登場人物全員が自らの身勝手な振る舞いを思い知らされるというところが斬新だ。ラストの映像のトーンが変わるのは、若い男の心情が一連の騒ぎで変わってしまったことの証だ。ついに謎は解かれるのか?パリに馴染めないイラン出身の男が家族に振舞う真っ黒いペルシャ風ビーフシチューが旨そうだった。<5月10日>
51.狼たちの午後/シドニー・ルメット(1976)
遠い昔、新宿の封切館で観た印象が強烈だった一本。アル・パチーノの絶頂期の演技だろう。ジョン・カザールの抑制された演技もすばらしい。相棒の孤独な人生を引き受け、全ての関係者に遺言で金を残そうとする銀行強盗の主人公。この犯罪は貧困ではなく優しさから生み出された奇妙な犯罪なのだ。冒頭の音楽はエルトン・ジョンの「アモリーナ」。時代の雰囲気が蘇る。<5月11日>
52.ゴスフォード・パーク/ロバート・アルトマン(2001)
アメリカへのパワーシフトが進む大戦間のイギリスのマナーハウスを舞台に貴族社会の実態とその落日を辛らつに描くアルトマンお得意の群像劇。例えば間抜けな警部はアガサ・クリスティ的英国ミステリーのパロディなのだ。バラバラに見える動きがいつの間にかひとところに収斂していく展開は、まれにみる映画的表現の傑作といってよいだろう。一見複雑な人間関係がいつの間にか感覚で理解できているという演出もまさにアルトマンマジック。<5月12日>
53.斬る/三隅研次(1962)
例えば敵方の屋敷で市川雷蔵が何枚もの襖を開け放ち、座敷を奥へ奥へと進みながら敵にはめられた主人を探すところを俯瞰ショットも交えながら撮った動のシーン。例えば鶯の声にふと気を留める静のシーン。動と静の対比を駆使して創り出される独特の様式美。<5月16日>
54.塀の中のジュリアス・シーザー/パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ(2012)
映画の中で囚人を演じる本物の殺人犯などの囚人が劇中劇の演劇で殺人者や裏切り者を演じるという構図に唖然とさせられる。劇のリハーサルが行われる刑務所が次第に古代ローマに見えてくるのも狙い通りだ。<5月16日>
55.別離/アスガー・ファルハディ(2012)
日常の家庭に題材をとりながら第一級のサスペンスを創り出した、こういう手もあったのかと目から鱗の驚きの一本。2時間あまりで、主人公夫婦の間に生まれた越えがたい距離を観るものに納得させてしまう手腕は賞賛を禁じ得ない。イラン出身の監督ならではの宗教的背景をトリックとして折り込んだどんでん返しにも唸ってしまう。<5月20日>
56.ブラック・ダリア/アラン・デ・パルマ(2006)
登場人物の多さと錯綜する事件をうまく描ききれていない感が否めない。また、事件ひとつひとつの背景や動機の説得性が薄く、全体的に散漫な印象。<5月23日>
57.ワイルド・アット・ハート/デヴィッド・リンチ(1991)
デヴィッド・リンチにしては判りやすいストーリー。煮え切らないニコラス・ケイジ、わざとらしいローラ・ダーン、異様なウィレム・デフォーなど異型の面々が登場するのだが異化効果がイマイチなのは一本調子の展開だからか。ラストでの天使の登場や「ラブ・ミー・テンダー」を歌うのもさほど効果的だとは思えない。<8月9日>
58.ロング・グッドバイ/ロバート・アルトマン(1973)
今回はトリヴィアルな話題を。テーマソングを弾くピアニストがいるバーでマーロウが注文する「Cとジンジャー」とは「カナディアンクラブのジンジャーエール割り(CC with ginger)」のこと。お腹がすいたのでは?とアイリーンがマーロウに問う。マーロウが最初に所望したのがいかにもやもめ探偵らしい「ボロニアソーセージとマヨネーズのサンド」(Cold Boloney with Mayonnaise)。何か作るわ、といってアイリーンが振舞ったのがバターチキンというインド風の一皿。華やかな香りのウイスキーをジンジャーエールで割った酒を飲むマーロウもエスニックな料理に感動するマーロウも70年代のフィリップ・マーロウを創ろうとするアルトマンの計算なのだ。<9月2日>
59.パードレ・パドローネ/パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ(1977)
強権的な父の下で羊飼いをしていた文盲の少年が父の下を離れついには言語学者になる。主人公は「本土で特権的に振舞うのは父に負けたことになる」といって島に戻る。父と土地の呪縛を主体的に乗り越えた瞬間だ。個人の生を土地と歴史のなかに位置づけようとするかのようなロングとパンを多用した映像。そこに広がるのはサルディーニャのイメージを覆す寒々しい荒地。風土の化身のような傍若な父親も深い印象を残す。<9月3日>
60.ペパーミント・キャンディ/イ・チャンドン(1999)
何かが決定的に変わってしまう。そして決してやり直しはきかない。人生にはそんなことが起こり得ることを観る者に説得的に語りかけてくる作品。そのきっかけとして描かれるのが民主化運動を弾圧した光州事件。一人の青年の運命が韓国の歴史に流れのなかに位置づけれられ、悲劇性はいや増す。主演のソル・ギョングはナイーブな青年期から非情な公安警察官、追い詰められた経営者、さらには後悔で煩悶する現在の姿まで、主人公の20年に渡る人生を一人で演じるのだが、その見事な変貌ぶりは感嘆させられる。<6月3日>
61.ジョゼと虎と魚たち/犬童一心(2003)
脚の悪い女の子と軽薄な大学生の物語。ラストでの2人の別れとその後の映像は、世界の違いはお互いが一緒の間は乗り越えられないとも読めるし、お互いを通じて人は自分の世界を変えることができる、とも読める。ジョゼと呼ばれる女の子の悲惨さ、孤独、ひねくれ加減、甘えなどを不思議に相対化しているのは大阪弁の存在。つくづく不思議な言葉だ。<6月4日>
62.ゴモラ/マッテオ・ガッローネ(2011)
5つの群像劇で描くナポリの犯罪組織カモッラの実態。一切の美的演出はなく、日本のやくざ映画のように声を荒げたりしないし、銃の描写も妙に即物的なところが逆に怖い。日常を覗き込むような深度の浅い望遠レンズ、会話を追って自在に動き回る手持ちカメラ、たびたびフレームアウトする極端なクローズアップなど、緊迫感あふれるドキュメンタリー的カメラワークが見もの。威容を誇るコンクリートの集合住宅は組織が根をはる「都市」を象徴しているようだ。<6月6日>
63.無防備都市/ロベルト・ロッセリーニ(1945)
ネオリアリズモの先駆けの作品。ドイツ占領下のローマで共産党員やキリスト教神父が共にパルチザンとして戦う。主人公たちはいずれも銃弾に倒れ、拷問で死亡し、銃殺刑に処せられるが、その闘争魂は不滅であることが暗示される。アンナ・マニャーニが恋人を追いかけてドイツ兵に撃たれる伝説のシーンは今、観ても衝撃的だ。無防備都市とはハーグ条約で定められている、いわば無条件降伏を宣言した都市のことを指す用語なのだそうだ。ちっとも知らなかった。<6月7日>
64.州崎パラダイス赤信号/川島雄三(1956)
日本3大ダメ男腐れ縁映画の一本。煮え切らなくてやる気のない男と生活力はあるが依存心の強い女。演じるは三橋達也と新珠三千代。両者ともどこかノンシャランな感じを共有しているのが川島雄三らしい設定。轟夕起子や小沢昭一などの脇役陣の演技も忘れがたい。シリアスのなかにノンシリアスがありユーモアのなかに哀しさがある。一杯飲み屋「千草」の外観は実際の州崎橋の袂にセットを作ったのだそうだ。<6月10日>
65.イル・ディーヴォ/パオロ・ソレンティーノ(2008)
数々の暗殺事件などにも関与したといわれるイタリア元首相ジュリオ・アンドレオッティを描いた作品。その権力と孤独な姿を淡々とかつズームやスローモーションを多用したフォルマリスティックな映像で描いてみせるのが新鮮だ。特徴ある元首相を演じたのが『ゴモラ』で産廃オヤジの役のトニ・セルヴィッロ。全く別人に見えるメークと演技がすごい。<6月11日>
66.乱れる/成瀬巳喜男(1964)
戦後の時代の変化とそのなかでの人の心情を描いて見事な成瀬作品。戦争未亡人として夫の実家の店を切り盛りしてきた高峰秀子は商店街の近代化のなかで居場所がないことを悟る。唯一の理解者で思いを寄せる義弟の加山雄三。過去をおいそれと片付けられない女と若い世代の男の行く末は?ラスト近くで高峰の実家の新庄へと向かう途中、2人が大石田の駅で降りて向かうのは銀山温泉。川沿いを駆け、立ち止まる高峰秀子のラストショットは運命のやるせなさをたたえて忘れがたい。告白シーンでの1シーン13カットという技巧的な方法が逆に映画的緊迫感と自然さを生み出しているなど映画の教科書のような作品でもある。<6月12日>
67.悪いやつら/ユン・ジョンビン(2012)
時代に抗うように、ずうずうしく、だまし、誤魔化し、脅し、裏切り、泣き落とし、嘘、暴力、なんでもありで生きる男の姿をすっかりオヤジ容貌になったチェ・ミンシクが熱演。なり振りかまわない姿もここまでくるとある種の美学や規範性を帯び、さらには人生の悲哀さえ感じさせるのだ。<6月15日>
68.セブン/デヴィッド・フィンチャー(1995)
猟奇的殺人犯を追う新米刑事のブラッド・ピットと退職間際のベテラン刑事モーガン・フリーマン。アーティスティックなセットや「銀残し」と呼ばれる現像手法によるコントラストの強い映像が印象的。ストーリーも途中で犯人が自主してくるなど前代未聞。ラストの観る側をも巻き込むようなハラハラ感は見もの。モーガン・フリーマンが抱いている社会への憤りの裏返しとしてのニヒリズムやぺダンティズムの描き方がやや物足りないのが残念。<6月17日>
69.ファウスト/ヤン・シュヴァンクマイエル(1994)
実写+人形によるアニメーション。監督はチェコのアニメーション作家。ふとしたきっけでファウストに仕立てられた中年男の不条理の物語。イメージの源泉は監督の強迫観念なのか、いたるところにシュールかつ暗くグロテスクな出来事がちりばめられている。木偶人形は不気味でシュールでぴったり合っている。<6月18日>
70.トラフィック/スティーブン・ソダーバーグ(2001)
麻薬組織と戦う3つのストーリーが同時平行で描かれる見応えのある一本。撮影のピーター・アンドリュースとは監督自身のこと。ストーリー毎に3つの映像表現を駆使する凝り様で、例えば、西海岸が舞台の麻薬組織と戦う刑事劇はフラッシングと呼ばれる手法で色が飛んだ柔らかい映像で描かれる。ちなみにこの手法は『ロング・グッドバイ』を撮影したヴィルモス・スィグモンドが開発した手法で未感光のフィルムを極弱い光に当てから撮影する手法。3つの物語のなかではメキシコを舞台にした、ベニチオ・デル・トロがかったるそうに麻薬刑事を演じる物語が白眉。最後が泣かせる。<6月20日>
71.夏至/トラン・アン・ユン(2001)
ヴェトナムを舞台にした3姉妹の恋の物語り。雨、海、水田、洪水の街中、手水鉢の中の水面、黒髪を流れるシャワーなど水のイメージや兄妹が住むアパートのインテリアの色使いなど美しい映像には事欠かないが、理想化された情景とスケッチレベルに終始する恋物語に物足りなさを感じてしまうのは否めない。ゆったりと進むモンスーン的湿り気を帯びた映像にルー・リードのけだるいヴォーカルの”Coney Island Baby”がぴったり合っていたのが救いだ。<6月22日>
72.フラガール/李相日(2006)
常磐炭鉱が企業生き残りのための事業として立ち上げた常磐ハワイアンセンター設立にまつわる物語。前半で徐々に閉山に追い込まれていく様子を丁寧に描いており、フラガールを夢見る切実さや葛藤が伝わってくる。一人ダンスの練習をする蒼井優と対峙する母親富司純子。黙々と踊る娘の身体性がいつしか、ダンサーになることに反対している母親の心を動かしている。抑制された演出のなかに映画的説得性を感じさせる良いシーンだった。<6月25日>
73.日本の夜と霧/大島渚(1960)
60年の安保闘争を背景にして左翼運動の内部矛盾を共産党批判として描いた作品。60年安保の現実の状況に呼応するように撮影され、同年に公開されている。セリフのとちりを無視してワンシーンワンカットで撮るなど無謀ともいえる熱意優先の映像。松竹は4日間で上映を打ち切り。これに抗議して大島渚は松竹を退社する。<6月27日>
74.リアリティ/マッテオ・ガッローネ(2012)
ナポリの気のいい魚屋がリアリティ番組のオーディションをきっかけに妄想にとりつかれていく様を描く。ナポリの街をなめるように一台の馬車を空から追う映像に徐々に音楽がかぶさってくるオープニングは、陽気さと狂気が混在したこの物語を暗示しているようで思わず引き込まれること請け合い。庶民、デブ、バカ騒ぎの登場などフェリーニを思わせる要素がちりばめれている。「ビッグブラザー」というリアリティ番組の存在を知らないで見るとやや判りにくいかも。<6月28日>
75.愛のお荷物/川島雄三(1955)
昭和30年。日本は人口爆発で悩んでいた。隔世の感を禁じ得ないが、本作は産児制限のための法律を通そうとする厚生大臣一家の親子に赤ちゃん誕生の話が勃発するスラプスティックコメディ。口が達者で甘えん坊でシニカルなお坊ちゃんを三橋達也が演じている。妹の高友子との畳み掛けるような掛け合いが最高。隠れ家の佃に新橋から手漕ぎ舟で行くというシーンがあり、まだ健在だった水の東京がしっかりと記録されている。<6月30日>
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