第21章ではマーロウの探偵稼業のとある一日が描かれる。ストーリーとまったく関係ない、こういうパートが思いのほか面白い。
その一日は、マーロウによって「クレイジーな一日」になると予測される。roll inはやってくる、gear wheelは歯車という意味。
I knew it was going to be one of those crazy days. Everyone has them. Days when nobody rolls in, but the loose wheels, the dingoes who park their brains with their gum, the squirrels who can't find their nuts, the mechanics who always have a gear wheel left over.
the dingoes who park their brains with their gumというところが相当手ごわい。しばらくは何を言っているのか理解できなかった。村上訳では「脳みそを糊でかろうじて貼りあわせているぼんくら」、清水訳では「脳みそを置き忘れた犬」となており、いずれもすっきりと腑に落ちる訳にはなっていない。
dingoとはオーストラリアの野生の犬、臆病者、浮浪者、若い女性を好むジジイ、気が狂った人などさまざまな意味がある言葉。他動詞のparkは文字通り、公園にする、駐車する、置いておくという意味。gumはゴム、糊、チューイングガム、歯茎などの意味。
まずgumはtheir gumで使われているので少なくともゴムや糊という意味ではないだろうと気がついた。また、歯茎は可算名詞で普通は複数形で使われるので、ここではそれも意味しないと思われる。snap one’s gum(ガムを鳴らす)あるいはblow bubbles with one’s gum(風船ガムを膨らませる)という言い方がある。所有格+gumはその人が噛んでいるチューインガムのことを指す言い方だとわかる。
Parkもなかなか厄介だ。調べていくと、”Park one’s brains at the door”という言い方があり、日本語でこのニュアンスを解説したものが見当たらないので推測でしか言えないが「ドアのところに頭を放置する」つまり「家から一歩出たら頭を使わない」という意味のようだ。この場合のparkは”not deal with something or answer a question immediately but leave it for a later time”という意味合いで使われているのだろう。Parkに関しては清水訳のニュアンスに近いのではないだろうか。
比喩されているものが、探偵事務所にやってくるヘンテコな依頼人の描写であることを考えると、このくだりは「噛んでるガムと一緒に脳みそをどこかに置き忘れてきたうすのろ」というような意味ではないだろうか。
「車輪が緩んだ」最初のクライアントは、クイッセンネンというフィンランド系の大男。隣家の女が自分が飼っている犬を殺すために毒入り団子を庭に投げ込んでいると訴える。動物愛護局に問い合わせてみたらどうか、とマーロウ。
大男はThey couldn't see nothing smaller than a horseといって罵る。Theyとは動物愛護局のこと。
notが2回重なる二重否定=肯定と中学校で習ったので、この簡単な一文も考え始めるとわからなくなってくる。
調べてみると、二重否定にはnegative concord(否定呼応)と呼ばれる、二重否定=否定という使われ方があるのだそうだ。もともと英語も含めたヨーロッパ言語では、二重の否定は否定を意味しており、英語の否定呼応は、その名残らしい。今は主に黒人英語やスラングで使われるということで、チャンドラーはこのフィンランド系の大男の出自をさりげなく匂わせているのだ。
村上春樹は「あいつらは馬より小さなものは相手にもしねえんだ」と、チャンドラーの意図したニュアンスを反映した口調に訳している。
マーロウは女を捕まえて欲しいという依頼を断る。そして別れ際に「隣の女性が毒を盛ろうとしたのは、本当にあなたの犬の方なのですか?」と相変わらず一言多いマーロウ。
He started for the door. "Are you sure it's the dog she's trying to poison?" I asked his back.
"Sure I'm sure." He was halfway to the door before the nickel dropped. He swung around fast then. "Say that again, buster."
before the nickel droppedという表現が面白い。The penny droppedで「やっとわかった」という意味になる。ペニー硬貨を入れるスロットマシーンや自動販売機に由来するイギリス的な口語だそうだ。50年代初頭までアメリカでは電話の一通話は5セント(ニッケル硬貨)だったところから、チャンドラーはこの表現をひねって使ったのだろう。ちなみにdrop a dimeあるいはdrop a nickelという言い方もあり、電話で警察に通報することから「密告する」という意味になり、「硬貨が落ちる」という現象を同様の効果として使った表現だ。
マーロウはニ番目の女性の依頼もやんわりと断る。午後になり三番目にやってきたのはシンプソン・W・エーデルワイスという人物。椅子の端っこに座る悲しい目をした五十がらみの小柄なユダヤ人だ。異教徒の妻が男と失踪したので連れ戻して欲しいと依頼する。妻は25歳以上、年下だ。
「連れ戻してまた同じことが起きますよ」というマーロウに対しての男はこう答える。
"It will happen again," I said.
"Sure." He shrugged and spread his hands gently."But twenty-four years old and me almost fifty. How could it be different?
How could it be different ?(なんと違いすぎていることか)という感嘆の台詞は、日本語の場合は「仕方がないのです」(清水訳)という諦観を伴ったニュアンスに訳されている。
マーロウは依頼を受けることにする。奥さんの写真の複写を求めるマーロウに対して如才のないエーデルワイス氏は仮定法を使ってこう答える。
"I could hear you saying that, Mr. Marlowe, before I got here. So I come prepared."
「そうおっしゃるのではないかと思いました、ミスタ・マーロウ」(村上訳)と日本語では語順が逆になるところが面白い。
以下はそんな一日を終えたマーロウの嘆息が聞こえてきそうな一節。
So passed a day in the life of a P.I. Not exactly a typical day but not totally untypical either. What makes a man stay with it nobody knows. You don't get rich, you don't often have much fun. Sometimes you get beaten up or shot at or tossed into the jailhouse. Once in a long while you get dead. Every other month you decide to give it up and find some sensible occupation while you can still walk without shaking your head. Then the door buzzer rings and you open the inner door to the waiting room and there stands a new face with a new problem, a new load of grief, and a small piece of money.
Once in a long while you get deadは「ごくたまには死んでしまうこともある」つまり「死ぬことだってないわけではない」というニュアンスだろう。
マーロウの台詞には、探偵しかできない不器用な男の諦観という鎧の陰に隠された密かな使命感が滲み出ていると同時に、自らの可能性を否定する、というか、封印する深いニヒリズムの気配がたちこめている。自らを探偵稼業にあえて封印することによって、マーロウ、つまりチャンドラーが表現しようとしているものは一体なんなのだろうか。読了の暁には理解できるようになるかもしれない。
三日後にアイリーン・ウェイドから、明日の夜の自宅でのパーティーへの誘いの電話が入る。マーロウは誘いを受ける。
"I must have looked very silly acting Victorian about it," she said. "A kiss doesn't seem to mean much nowadays. You will come, won't you?"
acting Victorian about itの「ヴィクトリア時代の人」とは、気取っていて堅苦しく古くさい事柄の象徴として使われている。
何故か落ち着かない気分になり、マーロウはテリー・レノックスからの別れの手紙を取り出す。そして、そこに記された<ヴィクターズ>で自分のためにギムレットを飲んで欲しいという遺言のような言葉を実行していなかったことを思い出す。
I had too much of his money. He had made a fool of me but he had paid well for the privilege.
He had made a fool of meのfoolという言葉でマーロウが言いたかったのは、どういう気持ちだったのだろうか。ちなみに村上訳では「テリーは私を愚かしい立場に置いた」となっている。
それはきっと、バーである人を弔うようにひとりで酒を飲むというセンチメントな行為に対するfoolであり、テリーのいつもながらの無邪気で独りよがりな依頼を無視することができない自分に対するfoolであり、それをする理由が、あたかもテリーが送りつけてきたマジソンの肖像のためのように思えてくることに対するfoolであり、他人からみればどうでもよさそうな、そんなことどもに煩わされていることに対するfoolなのだ。
(*James Garner as Philip Marlowe in Marlowe , 1969)
<Chapter20へ> <Chapter22へ>
copyrights (c) 2017 tokyo culture addiction all rights reserved. 無断転載禁止。
最近のコメント