第11章ではマーロウの事務所にメンディ・メネンデスというやくざ者が現れ、テリー・レノックスの意外な過去が明らかになる。
マーロウは久しぶりにダウンタウンの事務所に出勤する。マーロウの一日はいつもこんな風に始まるのだろう。
I slit the envelopes after I opened windows, and threw away what I didn't want, which was practically all of it. I switched on the buzzer to the other door and filled a pipe and lit it and then just sat there waiting for somebody to scream for help.
窓を開け、郵便物をあらため、待合室のブザーのスイッチを入れ、パイプにタバコを詰め、火をつけて、腰を下ろし「誰かが叫び声を上げて助けを求める」のを待つ。そんな一日の始まり。
ドアのブザーと電話が同時になる。
電話は弁護士のスーウェル・エンディコットからだ。君が今後もしレノックス事件にかかわることがあり、助けが必要な場合は知らせて欲しい、とマーロウに申し出る。
再び探りを入れるような申し出をいぶかるマーロウは、レノックスの自白書のことで議論を吹っかける。veracityは真実性という意味。
"I'm talking to a lawyer. Would I be out of line in suggesting that the confession would have to be proved too, both as to genuineness and as to veracity?"
"I'm afraid I have no time for a legal discussion," he said sharply. "I'm flying to Mexico with a rather melancholy duty to perform. You can probably guess what it is?"
I'm talking to a lawyerの現在進行形は、単に今、話をしているという意味よりも、現在の行為を強調する意味合いで使っているのだろう。また、Would I be out of line in~というところも文意を強調するための反語的言い方として疑問形が使われているようだ。直訳すると「弁護士さんと話をしているから言うわけではないが、自白書というものは、本物でありかつ書かれている内容が真実であることが証明されなければ効力がない、と私が言ったとしてもあながち的外れとはいえないでしょう」という感じだ。たっぷりと皮肉が込められたニュアンス。村上春樹は「もちろん弁護士であるあたなにこんなことを言っても、それこそ釈迦に説法でしょうが」と訳している。
エンディコットの方も「申し訳ないが君と法律論議をしている暇はない」とぴしっと言い放ち、気の進まない用事でメキシコに赴かなければならないことを告げる。
待合室のブザーを鳴らした来訪者はメンディ・ネメンデスと呼ばれている男だ。
A man was sitting by the window ruffling a magazine, He wore a bluish-gray suit with an almost invisible pale blue check. On his crossed feet were black moccasin-type ties, the kind with two eyelets that are almost as comfortable as strollers and don't wear your socks out every time you walk a block. His white handkerchief was folded square and the end of a pair of sunglasses showed behind it. He had thick dark wavy hair. He was tanned very dark. He looked up with bird-bright eyes and smiled under a hairline mustache. His tie was a dark maroon tied in a pointed bow over a sparkling white shirt.
特徴的な細かいディテールの描写を積み重ねることによってその人物のキャクターを創り上げるのはチャンドラーの手法だ。この場合は服装に焦点が当てられる。
tiesとは浅いタイプの紐靴のこと。black moccasin-type ties, the kind with two eyeletsとは、靴紐を通す穴(鳩目と呼ばれる)が片方に2つづつ開いているモカシンタイプの紐靴のことだ。紐付きのモカシンというと普通は、カジュアルなインディアン・モカシンやデッキ・モカシンを思い浮かべてしまう。逆にスーツに合うようなモカシンの多くは、紐なしのローファータイプ(ビット・モカシン)が一般的だ。Webで探してみるとヴィンテージ物でカジュアルではない紐靴のモカシンが幾つかあった。写真のものはフローシャイムの60年代のもの。ただしこれは3アイレット。メネンデスの履いていたものはこれよりもっと華奢でエレガントな雰囲気のものだったと思われる。
その靴を形容するthat are almost as comfortable as strollers and don't wear your socks out every time you walk a blockというところがチャンドラーお得意の大げさな比喩でおかしい。strollerはベビーカーのこと。wear your socks out とはソックスをダメにするという意味。50年代のころはそんなつくりの靴が多かったのだろうか?
pointed bowとは端部が三角になったボウタイのこと。普通の蝶ネクタイよりも凝っている。
ほとんど見えないくらいの淡いブルーのチェックが入ったブルーイッシュ・グレイのスーツに華奢でエレガントな2アイレットのモカシン縫いのブラックシューズを履き、胸にはTVホールドのポケットチーフをあしらい、きらめくような白いシャツにダークな海老茶色のポインテッドエンドのボウタイを結んだ、見事に日焼けして、ヘアラインのような細い口ひげをたくわえ、黒々としたウェイビーヘアの男。
ミスター・メネンデスの服装はキザだが趣味は悪くなさそうだ。しかしながら過ぎたる完璧さは何事からも尋常さを奪ってしまう。単なるおしゃれや気障を通り越して、怪しげな囲気を漂わせてしまっているこの人物の感じが実に良く伝わってくる描写だ。
マーロウに絡むメネンデスとの会話が本章の見どころ。例えばメネンデスはマーロウのことをさまざまな蔑称でさげすむ。いわくsamll-time(つまらない),piker(しみったれ),penut grifter(くだらないペテン師),cheapie(安物)などなど。a nickel’s worth of nothingというのもある。直訳すると「5セント玉一個分の無」となる。全く価値がない、ということだろう。
また、メネンデスはマーロウのことを何回もTarzan on a big red scooterと呼んでいる。「でっかい赤いスクーターに乗ったターザン」とはどういう意味だろう?マーロウのことを時代錯誤の騎士道精神にかぶれたタフガイと揶揄している(あながち的外れではない、というか実に批評性に富んだ評価かもしれない)わけだが、on a big red scooterのニュンスが不明だ。50年代には「でっかい赤いスクーターに乗った」ヒーロー物語などがあったのだろうか?
何故、自分が大物になったか判るか?と言ってメネンデスは自らこう解説する。doughは現ナマ、got toはhave toの口語的言い方、juiceは文字通り甘い汁だがここでは他動詞として使われている。
"I'm a big bad man, Marlowe. I make lots of dough. I got to make lots of dough to juice the guys I got to juice in order to make lots of dough to juice the guys I got to juice.
入れ子のような構造の構文で分かりにくいが雰囲気は伝わってくる。直訳すると「しかるべき連中に賄賂を渡すためにしこたま金を稼ぐ必要があり、そのためにはまた別のしかるべき連中に賄賂を渡すためにしこたま金を稼がなければならない」という感じか。
メネンデスの大物自慢は続く。いちいち値段を言い添え、数にこだわるところがいかにも成り上がりのやくざ者らしい。grandは1,000のこと。
"I got a place in Bel-Air that cost ninety grand and I already spent more than that to fix it up. I got a lovely platinum-blond wife and two kids in private schools back east. My wife's got a hundred and fifty grand in rocks and another seventy-five in furs and dothes. I got a butler, two maids, a cook, a chauffeur, not counting the monkey that walks behind me. Everywhere I go I'm a darling. The best of everything, the best food, the best drinks, the best hotel suites. I got a place in Florida and a seagoing yacht with a crew of five men. I got a Bentley, two Cadillacs, a Chrysler station wagon, and an MG for my boy. Couple of years my girl gets one too."
and two kids in private schools back eastというところのback eastという言い方は、東部エリア以外に住んでいる人が東部を指す時や東部以外の場所からみた東部エリアを言い表す際に良く使われる言い方だそうで、東部から始まったアメリカ移民の歴史に由来するらしい。ニュアンスとしては本来はニュートラルなのだろうが、メネンデスは明らかに2人の息子を通わせている東部の私立学校の由緒を自慢したがっていることが伝わってくる表現だ。チャンドラーは実に細かいところまで目を配っている。
しつこく絡むメネンデスに"Stop hamming and tell me what you want."と痺れを切らすマーロウ。hamは過剰な演技や大げさに振舞うこと。メネンデスの口から自分ともう1人のランディー・スターという人物とテリー・レノックの過去の関係が明かされる。
3人は第2次大戦のヨーロッパ戦線での戦友で、レノックスは2人を助けた命の恩人だった。レノックスは3人がいる塹壕に落ちた迫撃砲弾を抱えて塹壕を飛び出す。砲弾を放り投げるが砲弾は空中で爆発して顔を負傷する。その後ドイツ軍の一斉攻撃があり、レノックスは行方不明となってしまう。レノックスはドイツ軍の捕虜になり整形手術を受けていた。戦後、メネンデス達は、ドイツ軍による整形手術で顔の半分が入れ替わり、白髪になり、神経を病み、東部で酒びたりになっているレノックスをようやく探し当てる。
その話を聞いたマーロウとメネンデスのやり取り。
"Thanks for telling me," I said.
"You take a good ribbing, Marlowe. You're okay. "
メネンデスのセリフのYou take a good ribbingがなかなか難物。ribbingとは悪意のないジョークやからかいというような意味で、通常はtake a ribbing for(or about)~という言い方で、~に関してからかわれるとか冗談を言われる、という意味なのだそうだ。
レノックスの知られざる過去の話を聞いて、その前にさんざん難癖をつくられていた相手のメネンデスに対して「話してくれて感謝する」と言うマーロウ。ここでのgoodは、誰に対しても言うべきことは言うというマーロウの動じない態度をメネンデスが評価しているという意味合いなのだろう。事実、メネンデスはYou're okayと言っている。
こうした前後の文脈を踏まえると、直訳すると「お前は良いからかわれ方をしている」つまり「お前はからかわれ方が上手いやつだ」という感じか。意味の通じる日本語にすると「お前はからかわれたり、絡まれたりしてもへこたれないたいしたやつだ。気に入ったぜ」ということになるだろう。
レノックス事件から手を引け、事件を利用して名を売ったり、金をせしめたりすることは止めろ、と脅すメネンデス。そんなことはしていない、というマーロウ。pay offは金をつかませる、deadはぴたりと、go alongはついていく、賛成するの意。
"Don't kid me, Marlowe. You didn't spend three days in the freezer just because you're a sweetheart. You got paid off. I ain't saying who by but I got a notion. And the party I'm thinking about has plenty more of the stuff. The Lennox case is closed and it stays closed even if - " He stopped dead and flipped his gloves at the desk edge.
"Even if Terry didn't kill her," I said.
His surprise was as thin as the gold on a weekend wedding ring. "I'd like to go along with you on that, cheapie. But it don't make any sense. But if it did make sense - and Terry wanted it the way it is - then that's how it stays."
「レノックス事件は終わったんだ。この先も終わったままなんだ、たとえ・・・」と口を滑らせ思わず言葉を飲み込むメネンデス。「たとえテリーが彼女を殺していなかったとしても」とすかさず後を続けるマ-ロウ。意味深な会話だ。
as thin as the gold on a weekend wedding ring という比喩が面白い。weekend wedding ring とは「ゆきずりの結婚話の際の指輪」とでも訳すのだろうか。
マーロウは執拗に絡むメネンデスの腹に一発お見舞いする。メネンデスは用心棒チック・アゴスティーノにマーロウの顔を覚えさせて立ち去る。
"Like a dirty newspaper," I said. "Remind me not to step on your face."はその用心棒への嫌味の一言。「汚れた新聞紙と間違えて君の顔を踏まないように気をつけないと」。
何故、メンディ・メネンデスのような名の知れたやくざ者がわざわざ時間を割いて警告にやってきたのか?あるいはハーラン・ポッターの意向で動いているらしい弁護士のスーウェル・エンディコットまでもが牽制するような電話をかけてきたのは何故か?マーロウは考えを巡らす。
マーロウはI didn't get anywhere with that, so I thought I might as well make it a perfect scoreと思い、ラスベガスのランディー・スターのクラブに電話をかけてみる。
この一文は簡単な単語だけになかなか難しい。not get anywhereはうまくゆかない、という意味の口語的表現。might as well~ は~するのも悪くはないというニュアンス。「考えても埒があかないのでどうせならやれることをやって満点を取ろうとしてみようと思った」という感じか。ただし、ランディー・スターは不在で「満点」は取れないで終わる。
それから三日目にニューヨークの出版社の代表をしているハワード・スペンサーという人物から電話があり新しい依頼が舞い込む。
チャンドラーはいつものように、なにげない話し方や微妙な言葉遣いにその人物のキャクターや出自をにじませる。mix it with~は~とつきあう、put inは述べる、reticentは寡黙な、という意味。
"You sure you want to mix it with a guy who has been in the cooler?"
He laughed. His laugh and his voice were both pleasant. He talked the way New Yorkers used to talk before they learned to talk Flatbush.
"From my point of view, Mr. Marlowe, that is a recommendation. Not, let me add, the fact that you were, as you put it, in the cooler, but the fact, shall I say, that you appear to be extremely reticent, even under pressure."
He was a guy who talked with commas, like a heavy novel over the phone anyway.
中ほどのFlatbushというのはNY市ブルックリンの地名。元々はオランダからの入植者が住み着いたエリアで、今はカリビアン・コミュニティができているそうだ。talk FlatbushとはFlatbush accentのことだろう。Blooklyn accent(ブルックリン訛り)とほぼ同義のようだ。
ハワード・スペンサーは「決してブルックリン訛りなどで話すことがなかった時代のニューヨーカーの言葉遣いで話した」と描かれる。ただしチャンドラーはちょっと皮肉にこういう風につけ加えることも忘れない。いわくハワード・スペンサーは「コンマをたくさん混ぜてしゃべる人物。まるで重厚な文学でも読んでいるみたいだ」と。
満足できるクライアントからの仕事。マーロウもちょうど仕事が欲しい時だと思っていたが・・・・。a portrait of Madisonは5,000千ドル札のことを指している。
Even in my business you occasionally get a satisfied customer. And I needed a job because I needed the money-or thought I did, until I got home that night and found the letter with a portrait of Madison in it.
「その夜、家に帰り、マディソン大統領の肖像入りの紙幣が同封された手紙を目にするまでは」と新たな謎へ誘う一文で幕を閉じる。
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